大人になってから「足が速くて素敵」とは言われない
「人は、何かひとつの対象を選んで、それに対して一生懸命努力すべき」
これが私の持論です。私の場合には、その対象はスポーツでも芸術でもなく、勉強でした。
私はもともと運動が大の苦手でした。そのため、消去法的に勉強を努力の対象にするしかなかったのです。
小学校の人気者は、運動のできる子と決まっています。わかりやすくいえば、足の速い子が男女ともに人気です。足の遅い私は、徒競走で「等外」しかもらったことがありません。もっともつらかったのはクラスリレーです。
小学生のときの私は、身長が高かったのですが、私の学校のクラスリレーはなぜか背の順で、身長の低い男の子から走り始め、一番身長の高い男の子までバトンを繫ぐというものでした。続いて身長の低い女の子が走り始めて、全体のアンカーはなんと、背の順で一番後ろの私だったのです。
バトンを受けて走り出した私は、他のクラスのアンカーたちに次々と抜かれていきました。その日のクラスの子たちの視線がとても冷たかったのを覚えています。
こういったこともあって、速く走る努力はそこそこに、私はその代わりとして、努力の対象を勉強に向けました。
これが、結果的に私の人生を大きく動かしました。
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