ひたすら外界を観察して「見る」ことに徹し、得た印象をそのまま画面に定着させようとしたのが印象派だったと前回でお話しました。
なにしろその名の通り、彼らは印象を忠実に描くので、
「わたしにはこう見えた」
と自信満々に言われれば、なんぴとたりとも否定はできません。印象派絵画こそ究極の写実です。ルネサンス以来何百年にもわたり西洋美術が培ってきた写実の伝統は、印象派の登場でピークを迎えたのです。
その後に活躍した画家たちの独自の工夫
そうなると、困るのは後進です。絵画の一大標はすでに実現してしまった。この先いったい、どんなアートを目指せばいいのか。
そこで着目されたのは、絵を描く自分自身とその内面です。
印象派と同時代人ながら、正反対といえる幻想的な作風を築いた画家ルドンは、大意こんなことを言っています。
光が存在するのと同じように、人が存在するのもたしかなこと。そして、人は思考するものだ。絵画の未来は、主観的な世界にある。
《ひまわり》で有名なあのゴッホも当時、こんな発言をしています。
見えるものを正確に再現する代わりに、僕は色彩をもっと自由に使おう。僕自身を強烈に表現するのだ!
絵画を通して主観的な思いや個性を表現すればいい、そんな機運が高まっていったのです。
印象派のあと、どんな画家たちが活躍したか見てみましょう。まずはゴーギャンとゴッホです。
彼らはモネやルノワールとほぼ同時代人ではありますが、1870年代に生まれた印象派の取り組みを確認したうえで、1880年代に独自路線を歩むこととなります。
ゴーギャンの新しさとは
ゴーギャンはもともと株式仲買を生業としていて、アートの門外漢でした。あるとき絵画に目覚め、内面の欲求に従って画境を開きます。
好きで始めたことですから、ゴーギャンは西洋絵画の伝統技法など目もくれません。主題の選び方も遠近法や色彩のルールも平気で無視します。1891年には楽園と信じたタヒチへ渡り、最期まで彼の地で描き続けました。
兄貴然とした態度に惹かれたのか、年若の画家たちは彼を慕います。のちに大成する画家ポール・セリュジエも若き日に教えを請うたひとり。連れ立って写生に行った際、ゴーギャンからこんな言葉を聞きます。
あの木が黄に見えるなら、黄色を置きたまえ。影が青っぽいなら、チューブから出したままのいちばん美しい青を置きなさい。赤い葉はどうするか。赤の絵具をそのまま使えばいい。
言われたまま描いてみると、画面には色が乱舞し、気分が浮き立つ作品となりました。絵画はただ外界を再現するのじゃなく、画面に自分の感情やものの見方を表すことだってできるのだ。それがゴーギャンの教えでした。
自分の感情や視点を絵に盛り込むという姿勢こそ、ゴーギャンの新しさだったのです。
筆触に自分の感情を込めたゴッホ
ゴッホもまたゴーギャンに心酔し、南仏アルルで一時期共同生活を送ったりもしました。絵によって感情を表したかったゴッホは、とりわけ色彩によって強烈なインパクトを与えようとします。ゴッホ作品はどれも色の印象が強く残りますからね。
印象派が編み出した筆触分割、絵具を混ぜずに細かいタッチで色を並べていく手法をゴッホも好んで用いたのですが、彼の場合は目的が異なりました。画面の明るさと光のきらめきを表現するために筆触分割を用いた印象派に対して、ゴッホは筆触の一つひとつに自分の感情を込めました。たしかにあの荒ぶる筆致を見れば、ゴッホの情念がストレートに迫ってきます。
描き方を独自に編み出したセザンヌ
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