真似ることで現れる別様の可能性
神田圭一(以下、神田) 文体模写もそうですが、真似るということとの意味についてもう少し伺いたいです。松岡さんの『擬―「世」あるいは別様の可能性』(春秋社)とも重なるテーマだと思いますが。
松岡正剛(以下、松岡) ともかく真似は極めて重要ですよ。真似だけではなくて、ぼくが重視してるのは、アナロギア(類推)とミメーシス(模倣)とパロディア(諧謔)です。これは古典ギリシャの時代にすでに確立していた修辞学なんですが、君たちはこれを3つともやってるから感心したんです。
神田 おお。完全に無意識でしたが、そうだったんですね!
松岡 それはここまで数をやったからたどりついたんです。数をやるのが大事で、そのことをぼくは、すべてを網羅する「モーラの神が降りた」て言ってるんだけど(笑)、2人にもその神が降りたんだよ。
菊池良(以下、菊池) モーラの神ですか。
松岡 それと、真似ていって「擬(モドキ)」を突き詰めると、そこに潜んでいた別様の可能性、コンティンジェンシー(偶有性)が浮かび上がってきます。それがわからないから、みんなオリジナルにこだわるんですよ。それで失敗して、大したことないことばっかりしてる。
神田 『擬』にも書かれてましたけど、グレーといいますか、「ほんととつもりは区別がつかない」というのは、感覚としてすごいわかると思いました。
松岡 たとえばジャコメッティなんかは、モデルを前にしてスケッチや彫刻をつくるのをやめて、頭の中に残っている “面影”を彫り始めたら、非常に独特なものになったんです。
菊池 あの細長い人の形ですね。
松岡 だから、最初に真似てないと駄目だけども、その真似方によって「“ほんと”と“つもり”」を両方掴んでいくという、独特のメソッドがあるわけです。
楽しむのではなく苦しんで面白がる
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