「奇跡を現実に出来る人ってホントに少ないと思うけど、
みんな、できないわけじゃないんですよ。
やろうとしないだけなんですよね」
(堂本剛,1979-)
アイドルとしての成功と壊れる心
アイドルでもあり、アーティストでもある。
少し前なら、この表現は矛盾をはらんでいたはずです。
広く大衆的な人気を誇るのがアイドルであり、アイドルほど大衆的ではないけれど、深く人の心に届くものをつくるのがアーティスト。そんな認識が自然となされていたからです。
しかし、堂本剛はアイドルであり、アーティストにもなった人と形容してもなんの矛盾もない男と言っていいでしょう。
まずは、アイドルとしての堂本剛がいかにすごいか、という話です。
堂本剛は、1991年・12歳のときにジャニーズ事務所入りし、1993年にKinKi Kidsを結成、97年にCDデビュー。CDの売り上げは “デビューから13曲連続オリコンチャート1位”という記録が、2002年にギネス認定。2018年1月現在も、39作にまで延ばし更新中です。
ギネス認定ですから、もちろん先輩のSMAPもなし得ていない記録です。特筆すべきはデビューから、という点。デビューの時点でシングルとアルバムの同時発売、デビューシングル『硝子の少年』の170万枚を越える大ヒットからもすけて見えるように、当時のKinKi Kidsは満を持してのデビュー。デビュー前から人気のあったグループだったのです。
その人気に火をつけたのがドラマです。
CDデビュー前から『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら〜』『若葉のころ』『金田一少年の事件簿』など、KinKi Kids・堂本剛個人問わず、出演するドラマが軒並み高視聴率を記録。もちろん、CDデビュー後も『to Heart 〜恋して死にたい〜』『Summer Snow』と主演ドラマが軒並みヒットし、アイドルとして大衆的・商業的な成功をおさめていきます。
しかし、その成功の一方で、剛は心を病み始めます。
「僕のいる芸能界も、外からは華やかに見えても裏は真っ黒で、そんなこと一切なかったかのようにステージに上がるのが芸能界だっていわれて、そうですかとは飲み込めなかった。正義感が強いというかクソ真面目というか、自分が自分で生きられない悲しみに負けそうな日々が続いた時期もあったんです」
CDデビューから6年が経った2003年には、過換気症候群、パニック障害と闘病中であることを告白。
「死にたいと思っていた時期があった」「ストレスとかプレッシャーとかすごくて追い込まれていた」「こういう職場にいると、いろんな方がいるわけじゃないですか。やっぱり、大半が頭を使って生きている人が多い中、心でぶつかっていては疲れる一方だったんですよね」などと、ラジオやライブ、エッセイなどの場を中心に様々な言葉で語られていますが、精神的な支障をきたすようになっていたのです。
アイドルとしての成功の陰で、自分が自分で生きられない悲しみを背負った剛。自分として生きる場所、せめてもの本当の自分が出せる場所として選んだのが、ファッションと音楽でした。
最初は変態扱いだったファッション
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