デカルトはミツバチのように「本を読む」

私たちはどのように、どんな本を読むべきか? デカルト曰く、読書の秘訣には「悪書」を避けることも挙げられます。悪書は大きく分けて三種類。読まないに越したことはありませんが、どうしても読みたいのなら、あるいは読まざるをえないなら、できる限り注意しなければならない本です。『デカルトの憂鬱』で、デカルトが「取扱要注意」の本として最初に挙げているのは、「邪悪なものと出鱈目なもの」です。さてそれは一体!?

08 デカルトはミツバチのように「本を読む」

私たちは、立派な書き手の優れたところを、初めて読む時にではなく、頻繁に繰り返して読むことで、知らずしらずに学んでいき、そうして自らの糧とするのです。 ―デカルトからヴォエティウスへの手紙 (一六四三年五月)

デカルトの読書術

 哲学者という生き物は、どこか謎めいていると思われるかもしれません。普段はいったい何をしているのか。そして、こう答える―きっと独りで難しいことばかり考えているにちがいない。四字熟語にある「沈思黙考」というやつです(いや、たいしたことは何もしていないという皮肉も聞こえてきそうですが!)。

 デカルトも沈思黙考タイプの人間だったのでしょうか。なるほど彼は、周囲の人々から適度な距離を保ちつつ、静かな環境で物事を深く考えることをとても好みました。壮年期には喧噪を避けるべく、ほぼ毎年のように引っ越ししたくらいですから。

 しかし、いつも孤独だったかと言えば、けっしてそうではありません。まず気のおけない友人が近くにいました。それに遠くには、手紙を頻繁にやりとりする信頼すべき研究仲間もいました。いやそれ以上に、彼の手元にはいつも何かしら本がありました。そう、デカルトは「独りで」哲学をやっていたのでは全然ないのです。誰かが書いた本を読んでは考え、その内容を紙に記してはまた本に戻る。そしてまた考え……ということの繰り返しだった。前章でも触れましたが、若い時からそうだったのです。

 そうなると、デカルトはいったいどのようなタイプの書物をどのように読んでいたのか、前章での話を引き継ぎながらさらに考えてみるのは、なかなかに興味深いことのように思えてきます。そこでここでは、彼の具体的な読書術について皆さんと一緒に学んでいきましょう。

ミツバチが蜜を抜き取るように、本から内容を読み取る

 デカルトが実際に読んだことが知られている古代ローマの哲学者に、本書でもすでに参照したセネカがいます。彼は晩年に、年下の親友ルキリウスに数多くの手紙を残しました。本当は書簡のスタイルで書かれた哲学論文なのですが、いずれにせよ、現存している「手紙」は全部で一二四通、どう生きるべきかをめぐってセネカの考えたことが書かれているため、『道徳書簡集』などと呼ばれています。

 そのなかでも、八四という番号の付いている手紙が、デカルト読書術のポイントを摑むのに役立ちます。セネカはそのなかで読書をある昆虫の生態にたとえていますが、デカルトもまた同じ比喩をヴォエティウスというオランダ人神学者に宛てた手紙(一六四三年五月)のなかで用いているからです。

 それでは、セネカの文章を引用することから始めましょう。

「ミツバチはあたりを飛び回って、蜂蜜を作るのに適した花の蜜を集め、そして、運んできたものを残らず振り分けて、巣の中にくまなく行き渡らせます」

 彼は続けてこう言います。

「私たちは、このミツバチを真似るべきです。そして、バラエティに富んだ読書から取り集めたものをすべて別個に分け―なぜなら、保存のためには区分けしたほうがよいから―、そのうえで、人間である限り私たちに生まれつき備わっている注意力と知力を働かせて、〔書物から〕取り出したさまざまなものを混ぜ合わせて一つの味に仕上げるべきです」

 最終的に「一つの味」に仕上げるとは、どういうことでしょうか。

 このことを理解するためには、セネカがこの手紙のなかで読書を別の比喩で表していることにも注目しなければなりません。つまり、食べ物の「消化」です。私たちが口に入れた食べ物は、そのままでは何の役にも立ちません。消化してはじめて私たちの血となり肉となるのです。セネカは言います。

「私たちの知性を養う読書においても同じようにしましょう」

 私たちは、読書から得たものを文字通り「消化」しなければならない。セネカによれば「消化」はまた「同化」でもあります。つまり、自分のものにすることです。これが「一つの味」ということで彼が最終的に言いたかったことに他なりません。

 そして、ヴォエティウスに宛てた手紙のなかで次のように述べるデカルトもまた、セネカにとても近い読書観を持っていたと考えられます。

「読者は〔自分に備わっている〕さまざまな能力に応じて―あたかもミツバチが蜜のみを、クモが毒のみを花から抜き取るように―書物から〔さまざまな内容を〕読み取るのです」

 私たちは良き読書人としてミツバチのように、さまざまな書物から「蜜」のごとく素晴らしい文章をあれこれ集める、ついでそれらを区分けして記憶する、そして最終的には、それらを引用または参照しつつも、言わば独自の本を自力で書きあげる、つまり、いろいろと考える―これがデカルトの読書観の大枠です。

 しかしこれで話は終わりというわけではありません。そもそも数多の書物を目の前にして、人はどのような基準で選書すればよいのでしょうか。

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津崎良典

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