透明人間とフリーマーケット

エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシャリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これは「ぼく」が、ものや人を通じて、「生」を組み立てていくものがたり、 のようなエッセイ、のようなもの。
透明になりたいと願いながらバイトを続ける「ぼく」が、フリーマーケットで自分のおもちゃを売る理由とは……。


 朝がきた。聖なる朝だ。ぼくは狭いベランダから、群れをなす新宿のビル群が可憐なラベンダー色に染まってしまうのをながめている。おびえて、身を寄せ合って、おおきなふりしたばかな都市。ぼくの都市。

 ひめちゃんからもらった桃とりんごは、乱雑にものが積み上がったぼくの部屋に、あっというまに溶けこんでしまった。ピンクの桃。オレンジがかった赤いりんご。どちらも本物とちがってざらざらしていないし、ずっしりした重みもない。もちろん甘くもない。

 きっとぼく以外のひとにとっては、がらくたの銀河の、ごくちいさな一点でしかないだろう。あるいは目利きを何人か集めたとしても、けっして価値を見出してはもらえないだろう。

 なのに、そんながらくたが、いまのぼくには光って見える。世界じゅうでたったひとり、ぼくだけが、そうやってこのふたつをまなざしている。

 こんなに大変もの、もらうんじゃなかった。おかげでますます透明になりそこなってしまう。

 しかし一方で、あれから毎日うれしい。どことなくうれしい。この場合、ぼくの意思というのはどちらだろう。

 テーブルに置いたままの腕時計が、6時きっかりを指している。

 都市よ、おびえるビル群よ、おまえたちはいま、どんなまばゆさのなかにいるのですか。


 連日ハードな買い付けが続いたこともあり、目がさめると全身筋肉痛になっていた。ぼくは「痛い……」と呻きながら起き上がって、のろのろと顔を洗い、適当に歯を磨いた。

 朝ごはんのかわりに昨夜買っておいたキャベツ太郎とグミをたべ、紫のやさいジュースを飲み干すと、ヒゲを剃りながらトイレにこもる。今日も身体はどこも透き通ってなんかいないし、絶好調で稼働している。まったくいやだ。すごく困る。

 トイレから出ると、ベッドのしたからトランクを引っぱりだして、寝ぼけたように空いた口に手当たりしだいおもちゃをつめこんでいった。まるで巨大なトラクターが、泥まみれのぐしゃぐしゃした雪も、いままさに生まれ落ちたばかりの白い雪も、いっさいがっさいえぐりとっていくみたいに。それにしても腰が痛い。太ももなんてもっと痛い。もう二度と、エレベーターのないマンションの買い付けになんて行くもんか。

 そうしてなんとかトランクがいっぱいになると、ぼくは呻きながら服を着替え、コードのからまったイヤホンを耳につっこみながら、鍵もかけずに部屋をでていく。いたってふつうの土曜日だ。


 今日の会場は、品川から京急線にのってしばらく行ったところにある、立会川のちいさな公園だった。ぽかぽかした陽気のなか、すこし急いで歩いたせいか、着いたときにはじんわり汗をかいていた。

 簡単な受付を済ませると、ぼくは公園を見渡して、いかにも老木って感じのする桃の木の前にピクニック用のシートを敷いた。花はすっかり散ってしまっているけれど、枝の先にはだれのしわざだろうか、ちょうど花びらみたいな色したピンクのリボンがひとつだけ結ばれている。それは、まるで祈りそのものみたいにぼくには見えた。

 ペットボトルのお茶を飲んで一息ついてから、ぼくはシートに持ってきたおもちゃをつぎつぎと並べていく。魔法のステッキやコンパクトを中心に、80年代のイースターバニーのぬいぐるみや、夢のような色彩のたてがみをもったユニコーンのフィギュア。いらないものなんてひとつもない。すべてがかけがえのないぼくの宝物だ。でも、だからこそ、手放さなくてはいけない。

 雲ひとつない天気のおかげか、アクリルの宝石はよりきらめき、カラフルなぬいぐるみはよりカラフルに見えた。思えばぼくの部屋は、ものが劣化してしまうことをおそれて、真っ黒な遮光カーテンがつねに吊るしてあるのだ。そんな空間にずっといるのは、どんなに窮屈だったろう。どんなにつまんなかったろう。

 ぼくは静電気で乱れてしまったポニーのたてがみを、そっと撫でつけながらつぶやいた。

 さあ行っておいで。これからはうんと明るいところへ。


 休みごとにフリーマーケットに出るようになったのは、オーナーがちっともぼくのものを買い取ってくれないせいだ。

「ところで」と話しはじめた途端に「だめだ」と断られてしまうので、業を煮やしたぼくは、オーナーのいないあいだを狙ってこっそり倉庫におもちゃを持ち込んでみたこともある。ぼくは臆病だけど、大胆なことは妙にできるのだ。

 しかしオーナーは、広大な倉庫のあちこちに散らしたぼくのおもちゃを、あっという間に見つけてだしてしまった。まるで歯医者さんが、ごくちいさな虫歯をつぎつぎと探り当てていくみたいに。

 オーナーはめずらしく怒っていた。木野さんも見たことがないというくらいの剣幕で怒っていた。

 大人の男の人に怒られるのが苦手なぼくは、天敵に睨まれたネズミみたいに硬直したまま、いったいなにを怒られているのかもわからないでいた。代わりに、なぜかうしおくんが泣いた。ごめんなさい、自分が泣いてごめんなさいと言いながら泣いた。ぼくはまるで追い剥ぎに遭ったような気分だった。

 それにしても、オーナーはあのとき、どうやってぼくのおもちゃを見つけだしたんだろう。

 じつはコンピューターみたく、倉庫の中身を把握しているのだろうか。あるいはぼくの顔に出ていたとか? 「おもちゃ置いちゃいました」って。

 それともまさか、選ばれてやってきたのではないものたちの匂いを、かなしみを、かぎ分けることができるとでもいうんだろうか。


 開始時間の10時になると、ちいさな公園の、ごく小規模なフリーマーケットにも、それなりに人が集りだした。ほとんどがお年寄りか若い子連れの夫婦で、みんなどこかへ行く途中に偶然通りがかって、なんとなく寄ってみたって感じだった。ささやかで、平和的で、だけど一瞬後には消えてしまいそうな、流れていくばかりで決して掴むことのできないような、なんともいえない空気だった。

 フリーマーケットははじまってしばらくは、ぼくはいつも妙にオドオドしてすごす。だれもぼくのことなんて見てないのに、そんなことわかってるのに、人の視線が気になって仕方がないのだ。

 ぼくはいま、ぼくのお店が、会場でいちばんかわいくて、すてきだってことを知っている。できればみんなに見てほしい。そして手にとって、触れて、褒めて欲しいと思っている。

 だけど、ぼく自身のことは見てほしくない。いないものとして扱ってほしい。なぜなら、個性の時代なんてうそだからだ。

 そのうち、3人組の女の人たちがきゃーきゃー騒ぎながらやってきた。

「やばいやばい、写真撮ってもいいですか? 超なつかしい」

「あ、どうぞ」

 とぼくが答えるより先に撮影大会がはじまった。

「やだ、これとかたぶん持ってたよー私」

「私は持ってなかったけど、お姉ちゃんがたぶん持ってたと思う。ここ押すと光るんだよね、ほら光った光った、わー」

 繊細なメッキのほどこされたおもちゃを乱暴に触って、置いてと繰り返しながら、しきりに「なつかしい」とはしゃいでいる。そりゃあなつかしいだろう。ここにあるおもちゃたちは、あなたたちが子どもだったころのものだもの。レディリンに、姫ちゃんのリボンに、ナイルなトトメスに。

 けれどぼくは、はずかしいのも相まって、妙にむかむかしてたまらなかった。なつかしいだって、なつかしいだって。

 ものを乱暴に扱われたことよりも、なにも買ってもらえなかったことよりも、その言葉に腹が立って仕方がなかった。でも、なんでかはよくわからなかった。


 すると今度は前髪が海藻みたいにおでこに張り付いた男の人がやってきて、片手でスマホをチェックしながら、じろじろとイグアナみたいな目でおもちゃをながめはじめた。おそらく転売目的で、オークションの落札価格かなにかをしらべているんだろう。

 そう思い、「お安くしますよ」と声をかけると、まるでぼくに気がつかなかったとばかりに飛びあがって、さっさとどこかへいってしまった。あんなことを言っておいて、いざいないものとして扱われると結構傷つく。

 午前中はそうやって、なにひとつものが売れないまま過ぎていった。

 お昼には、ちかくにあった昔ながらのおむすび屋で3個ほどおむすびを買って、ブースの近くのベンチで食べた。どれも硬く冷えきっていて、ふつうお金をだしてはたべられないたぐいの味がした。


 おにぎりを食べ終えると、ぼくはブースに戻るまえに、ぐるりと会場を見てまわった。そして、なんでも50円だというダンボールのなかから、バイトのとき使えそうな軍手のセットと、ちょうど切らしていた付箋を見つけてだして買った。ほかにもいくつか気になるおもちゃがあったけれど、ものを増やしては意味がないのでがまんする。

 昼下がりになると、活発そうな小学生ぐらいのグループがちらほらと公園にやってきた。しかしどのグループも、つまらなそうに会場を一瞥しただけで、すぐにジャングルジムやブランコで遊びはじめた。

 ふるびたものや、いらなくなったもののなかで見る子どもたちは、身体じゅうふわふわした産毛に守られてぴかぴかしていて、ちょっと異様なほどで、歴史が積み重なっていまがありますとか、血を受け継いで子どもがいますとか、ぜんぶうそみたい。もしくは、ぜんぶどうでもいいみたい。

 ふと見ると、斜め前のおばあさん2人組のブースで、さっきの男の人がいかにも10年くらい納戸にしまわれっぱなしでしたという感じのタオルセットを買っていた。あれも転売するんだろうか。


 日が陰りだすと、あたたかだった景色はだんだんと漂白されていくみたいに青ざめていった。騒いでいた子どもたちはいなくなり、空を舞っていた小鳥たちも姿が見えなくなっている。毎年感じることだけれど、春ってそんなにいいやつじゃないと思う。

 今日はあまりものが売れなかった。

 がっかりしながらため息をついて、片付けの準備をしていると、いつの間にかひとりの女の子がブースのまえに立っていた。ひめちゃんよりすこし年上って感じだろうか。ポニーテールをさらにこまかく巻いて、足元は編み上げのごついブーツできめている。とても大人びた雰囲気だった。

「こんにちは」

 ぼくが挨拶すると、女の子はいかにも気が強そうな顔で「ん」と言った。ぼくはなんだか、こないだみたいにはこころを開けない気がした。

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ぼくは本当にいるのさ

少年アヤ

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takfzy 都市よ、おびえるビル群よ、おまえたちはいま、どんなまばゆさのなかにいるのですか。 今回もスイスイ読み進められる文章の中にドキッとする描写が散りばめられていて最高。 https://t.co/4EahmBl9RB 9ヶ月前 replyretweetfavorite

ayapi_and_beast 「いるのさ」もよろしくね。 https://t.co/VoLiddkTTh 9ヶ月前 replyretweetfavorite

SchwarzKatz この人の文章すっごく好き。どうしてこんな表現ができるんだろう。 9ヶ月前 replyretweetfavorite

honya_arai ぼくはいま、ぼくのお店が、会場でいちばんかわいくて、すてきだってことを知っている。→ 9ヶ月前 replyretweetfavorite