賢母であれ、というプレッシャー
日本は「良妻賢母」の社会的な圧力が強いといわれます。でもいまは、「良妻」かどうかはだれも気にしないでしょう。
新婚の男性から「うちの奥さん、ぜんぜん家事をしないんだよ」と相談されても、「へえ、たいへんだね」とは思っても、「そんなこと許されない!」と怒るひとはいないでしょう。共働きなら、「奥さんも忙しいんだから、あなたが家事をしなさい」と説教されそうです。
これは新婚の女性も同じで、「あたし、ぜんぜん家事やらないの。ぜんぶやってくれるから」といったら、まわりの女友だちは「いいダンナさんをゲットしたね」とうらやましがるでしょう。
日本では、同棲はもちろん、結婚しても子どもがいなければ、「プライスレスな関係」が維持できます。地方はどうか知りませんが、「良妻」の社会的圧力はもうほとんどなくなりました。
ところが、子どもができるとまわりの態度は一変します。
友人から、「うちの奥さん、ぜんぜん子育てをしないんだよ」と聞かされたら、ものすごく深刻な相談だと思うでしょう。「産後うつで医者に見てもらったほうがいいんじゃないか」と、精神科医を紹介されるかもしれません。
子どもを産んだばかりの友だちが、「あたし、ぜんぜん子育てしないの」といったら、みんなからネグレクト(育児放棄)じゃないかと心配されるでしょう。「実家の母親がぜんぶやってくれるの」と説明しても、「それっておかしいよ」と怒られそうです。
ここから、日本の女性の人生を大きく変えるのは「結婚」ではなく、「出産」だということがわかります。妻の役割を放棄してもたんなる笑い話ですみますが、母親の役割を放棄することはぜったいに許されないのです。
しかし、「母親だけが子育てする」のは、当たり前でもなんでもありません。これは欧米の先進国ではじまり、日本では1960年代の高度成長期からサラリーマン家庭に普及した、きわめて特殊な子育てです。それ以前は祖父母やおじ、おば、いとこなどがいる大家族がふつうで、みんなで子どもの面倒をみていました。それに世界には、上流階級の妻は子どもを産むだけで子育てなどしない、というところもたくさんあるのですから。
しかし日本では、核家族化がすすむなかで、「賢母」への圧力がますます強くなっています。そしてこれが、子どもへの責任を一身に担わされる母親を追い詰めるのです。
子どもは実は、勝手に育つ
少子化によって、いまでは子育ては「失敗の許されないプロジェクト」になりました。しかし問題は、がんばったからといって、むくわれるとはかぎらないことにあります。なぜなら、「子どもは親のいうことをきくようになっていない」のですから。
これはカナダの発達心理学者ジュディス・リッチ・ハリスの『子育ての大誤解』(ハヤカワ文庫NF)を読んでもらうのがいちばんなのですが、かんたんにいうと次のような話です。
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