本当は、自分に正直に生きていきたいあなたへ
『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ
(村上春樹訳・新潮社)初出1958
世間の「善」 VS 自らの「善」
ニューヨーク、恋心、まるで猫みたいな美女。イノセンスの思い出をめぐる、きらきらと切ない小説。#アメリカ文学 #戦時中のニューヨークが舞台 #ヘップバーンの映画が有名 #けど映画と小説は雰囲気違うのでぜひ小説読んでみてくださいね #自由な美人が好きな人ぜひ #カポーティの他短編もおすすめ #規律や常識を守ることが嫌になったときに読みたい一冊
以前暮らしていた場所のことを、何かにつけふと思い出す。どんな家に住んでいたか、近辺にどんなものがあったか、そんなことを。たとえばニューヨークに出てきて最初に僕が住んだのは、イーストサイド七十二丁目あたりにあるおなじみのブラウンストーンの建物だった。戦争が始まってまだ間もない頃だ。
秘密に隠してあるきらきらしたものを煮詰めて結晶にした、そこにしかない、小説家の人生でたったひとつの小説。
『ティファニーで朝食を』は、そういう類の小説のひとつだ。
舞台はニューヨーク。第二次世界大戦下、その古い建物の、「僕」の部屋のちょうど真下の部屋を借りていたのは、ホリー・ゴライトリー。
16歳にも30歳にも見える、美しく自由な空気をまとう彼女は、ニューヨーク社交界を気ままに渡り歩いているらしい。「ミス・ホリデー・ゴライトリー、旅行中」―そんなふうに名刺に刻みながら。 ホリーの部屋には、いつもたくさんの男が出入りしている。彼女の素性は謎のまま、「僕」もまた、彼女の魅力に惹きつけられてゆく……。
この小説を読むと切なくてしょうがなくなる。それはたぶん、主人公の語り手「僕」にも、自由きままなホリーにも、両者に感情移入してしまうからだ。
「僕」は、小説家志望の青年。ただ小説ではまだ食べていけず、やりたくない9時5時の仕事をしたりしなかったりする。そんな「僕」が、ホリーに惹きつけられる。ホリーは身軽で気ままで本能的で、まるで猫みたいな女性。
実際、この小説には象徴的に「猫」が登場する。ホリーは猫に名前をつけない。猫を抱いて、こう言う。
この子とはある日、川べりで巡り会ったの。私たちはお互い誰のものでもない、独立した人格なわけ。私もこの子も、自分といろんなものごとがひとつになれる場所をみつけたとわかるまで、私はなんにも所有したくないの。そういう場所がどこにあるのか、今のところまだわからない。でもそれがどんなところだかはちゃんとわかっている」、彼女は微笑んで、猫を床に下ろした。「それはティファニーみたいなところなの」
何にも所有したくない。身軽でいたい。責任なんて負いたくない。ティファニーみたいな、自分がぴったりと自分でいられる場所を見つけるまで。
リッチな有名人になりたくないってわけじゃないんだよ。私としてもいちおうそのへんを目指しているし、いつかそれにもとりかかるつもりでいる。でももしそうなっても、私はなおかつ自分のエゴをしっかり引き連れていたいわけ。いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの。
規律や常識を守ることが嫌になったときに読みたい一冊
こういうホリーの気持ち、わからない人なんていないんじゃないだろうか。
責任は重いし、年をとったり人生を重ねていったりすることは
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