自分のスタイルがない
平野啓一郎(以下、平野) ただ、この頃からコンクールで入賞し始めて、先ほどの高校時代の作品「織物祭」のポスターも一等入選ですよね。自分に画才があるということをだんだん感じ始めたのではないですか?
横尾忠則(以下、横尾) まあね、画才に気づくというよりも、職人的にただ描くのが好きで、高校時代には全国高校油絵コンクールとか県展とか市展とか、機会があるたびに出品していたんです。そうすると入選したり。
でも何でこの絵が入選したのか、絵に対する意識がないので自分にはよくわからないんですよ。それがわかれば自信もつくんだけれど。だから賞が与えられても、逆に不安感が募ってくるんです。「何でこれがいいのかわからない」という。
いろんな展覧会に出すたびに賞をもらったりして、学校としてはPRになるんですね。それで朝会のときに校長先生が表彰状をくれるんだけど、その回数が多くてだんだん恥ずかしくなってしまって、朝会が始まると「嫌だな」と思っていました。
平野 賞状をもらいすぎて、恥ずかしくなってきたのですね。
横尾 もらいすぎてというのは、たしかにそうなんですね。コンクールというのはいっぱいあって、片端から出していたからね。そのうち絵を描く時間が間に合わなくなってきて、よそで賞をもらった作品をまた別のところに出したりして。
そうすると、二重取りで賞をもらう。これはばれたら困るんだけど、幸いばれなかったから余計回数が増えちゃうんですよね。でも、それよりも何よりも僕は郵便屋さんになりたかった。
平野 当時の作品でも、たとえば「岩と水」のような本当に絵画らしい作品と、「織物祭」のようなグラフィックの作品の両方で賞を取られていますけど、ご自分としてはどちらが手応えあったんですか?
横尾 いや、僕はいまでもそうですけど、自分のスタイルみたいなものがまったくない人なんです。いま、目の前にある作品に関してのスタイルはあるんですよ。だけど、このスタイルが僕のアイデンティティを証明するスタイルかどうかというと、まったく自信がないんですよ。だから次のテーマで依頼されると、今日描いた作品とまったく違う作品ができてしまうんです。
それは逆に、自分に対する不信感から、核になるものがないから、いろんなスタイルに目移りがするんですよね。だから面白くないと言えば、面白くない。充足感とか達成感がない。
よその学校の連中なんかとも絵を通して交流があるんだけども、「おまえはまったくスタイルがない」と批判されるわけです。これはもう強烈な批判なんですよ。「どうしたら、スタイルができるのかな」と考えてもだめで、気が多いので目の前にある他人のものをすぐそのとおりにまた描きたくなってしまう。
先ほど平野さんが言ってくれた「岩と水」と「織物祭」もそうです。同じ時期に描いていて、全然違うスタイルです。同一人物が描いたとは思えないでしょう。まあ、絵画とグラフィックというメディアは違うけれど。
平野 10代の頃は誰もが、「自分って何者なんだ」ということをすごく悩む時期だと思うんですけど、多くの人はまだ何も芽が出ないまま悶々としている。でも横尾さんはすでにいろいろなことをやって、それがけっこう評価もされているなかで、やはり悩んでいたという話はすごく面白いですね。
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