なんて美しい猫なんだろう。
七海は、中央の台座に重ねられた本の上にちょこんと座り、猫のくせして背筋をすっくと伸ばして立つ、モモと名づけられたその美しい黒猫を見て思う。
時折、光を浴びるとシルバーの光を照り返すように見えるのは、偶然ではないだろう。飼い主の西城が、前に黒猫とロシアンブルーのハーフだと言っていたのを何気なく聞いていたが、たしかに、普通の黒猫よりも毛艶がいいし、線が細く見える。
黒猫なのに、黒の首輪をしていて、まるで人を小馬鹿にするように、目を薄らと開けて、何か言いたげだが、言わないというような、貴婦人の佇まいをしている。
天王星書店には、この日も客がいなかった。 思い返してみれば、初めてここに来た日より、およそ二年間、この店で客を見たことがなか った。
この書店の主である西城潤は、伝説では「世界最強のビジネス」を手にしていると言われているが、この店が世界最強だとは到底思えない。考えてみると、本名だけでなく、西城の本当のビジネスについても、七海は知らなかった。
豊島公会堂での狙撃事件以来、七海はマスコミから逃げるようにほとんど自宅マンションから外に出なかった。自宅に籠もりながら、なぜ西城は今がチャンスだと言うのか、様々考えてみたが、答えは見つけ出せずにいた。
現に、チャンスどころか、これまで受注していたイベント運営と警備の仕事のほとんどがキャンセルになった。
七海が興した会社「レイニー・アンブレラ」は早くも存亡の危機に陥っていた。このピンチを打開するには、西城の知恵に頼るしか方法は残されていなかった。おもむろに椅子から立ち上がり、七海は本棚を巡ってみた。
マーケティングに関する本、歴史に関する本、リベラルアーツに関する本。この二年間、西城に多くの本を勧められ、勧められるがままに七海は読んだ。
たしかに、要所要所では西城は七海に直接教えてくれたが、本に教わっている時間のほうが長かったように思える。もしかして、マーケティングに関する本の多くは、網羅してしまったのかもしれない。その証拠に、大型書店のマーケティングの棚を見ても、七海が読んでいない本は、ほとんど見当たらなかった。
「そこにある本、どれくらい、読んだ?」
いつのまにそこにいたのだろうか、声に振り返ると、天窓から光差す台座の中のカウンターには、黒猫モモと入れ替わるようにして、西城が座っていた。今日も銀髪が映えた。すでに手元では仕事をしているらしかった。かすかだが、キーボードの音が聞こえてきた。
「ほとんど、読んだと思います」
「悪くない。イベント運営と警備のほうはどうなった?」
「ほとんど、キャンセルになりました」
「そんなところだろう」
西城はなぜか満足そうに頷いた。 そして、西城はキーボードを打つ手を止めて、初めて七海のほうを向いて言った。
「桐生七海。どうやら、ようやく準備が整ったようだね」
「準備?」
ああ、と西城は頷く。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。