ゴスピはこの家から消えてしまった。 彼のfacebookのアカウントも、twitterのアカウントも更新されなくなった。もちろん@Milly252のアカウントも。
「えーと、私はよくわかりませんが」
戸塚さんは禿げ頭を掻きながら言った。
「つまり、ゴスピさんが女装している写真がインターネット上で公開されてしまったということでしょうか。本人だとわかる形で」
「女性装よ、女性装。女の服を着てるってこと」蝶子が口を挟んだ。
「まあ、そういうことです。」
「ゴスピさんは、それに対して、否定も肯定もしてないと」
「そうです」
「ふざけてそういう服装を着ていたわけではないのですか?つまり、その、いっときの遊びとしてそういう装いをしていたわけではなく、彼のスタイルとしてー」戸塚さんは少し言い淀んだ。
「日常的に行っていたと」
「多分」僕が答えた。
もしもあれが、花火大会の余興であるならば、彼はとっくに否定していただろう。しかしあの日僕が見たゴスピの姿と、彼につきそうショートカットの女性の振る舞いからは、冗談や好奇心から生まれたその場限りの戯れとは思えないほどの、何かの切実さのようなものが放たれていた。
龍くんも蝶子も、メッセージを送ったが、返事はないと言っていた。僕はまだ、彼に送る言葉を見つけられずにいる。メッセージアプリを開いては、文字にならない言葉が、画面の上で消えてゆく。
彼は今、一体どこで何をしているのだろう。あの花火大会で一緒だった人々とともに行動しているのだろうか。寝る場所には困っていないだろうか。ふと、自分が彼の行動パターンを何も知らないことに気づく。同じ家に住んでいると言ったって、僕は彼のことを何も知らない。携帯電話の番号すらも知らない。距離が近ければ近いほど、肝心なことは後回しにされ、瑣末な日々の用事にかき消される。
「蝶子、あいつが女装……女性装してるの、もしかして知ってたんじゃないの?」
蝶子はいつも通りのしかめっ面でうなずく。
「うん。まあ、何となくね」
「知ってて黙ってたのか」
「他人の秘密を、勝手に話すような無粋な真似、あたしはしない。それにさ、あいつがどんな趣味もってよーが、そんなの大した問題じゃないもん。あたしの前に働いていたクラブにだっていたわよ、TGの子」
「てぃーじー?」と戸塚さんが再び聞く。
「トランスジェンダーの略です。体と心の性別が、一致していないってこと」
「えっと、つまり、性別は男だけど、女の格好をしてる人のこと」
「違うわよ」蝶子が遮った。
「性自認と、社会的な性認識が違う人のことよ。女である自分を持っているけど、身体は男ってこと」
「では、ゴスピさんは、女性の中身で、男性が好きってことですか」
「いや、それはまだわかりません。男で単に女性の服装をするのが好きな奴もいるし、女の服をきていても、女の子が好きって場合もあるだろうし」
「ってゆーか」蝶子が多少声を荒げて会話を中断する。「そんなの本人しかわかんないじゃん。外野が勝手に判断することじゃない」
「そうでしょうね」
戸塚さんは静かに言った。
「我々は待ちましょう。彼が帰ってくるのを」
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