メゾン刻の湯

自分以外の誰かにはなれないって、心底分かりきってるはずなのに

昼はプログラマ、夜はDJとして活躍し、既にその才能を認められている弱冠20歳のゴスピ。その姿は、まだ生き方を決め兼ねているマヒコの目に、酷く眩しく映る――。社会からハミ出たくせものたちの集まる銭湯シェアハウスが舞台の傑作青春小説、第26話です!

 赤、黄緑、黄色、マーブルチョコみたいに色とりどりのタオルたちが、物干し台の上、夕暮れの空に揺れている。階下からは蝶子たちがマリオカートに興じる騒がしい声が聞こえてくる。「ちょっと、アキラ君カミナリ落とさないでよ」「やべ、逆走した」「リョータ、なんか上手くなってない?」……屋上ではタタミが鼻をぶぅぶぅ鳴らしながら寝ている。定休日の、いつもの刻の湯の風景だ。僕は腕を伸ばし、気ままにはためく洗濯物たちを、一枚一枚洗濯カゴに取り込んだ。昼の名残のうんざりするような暑さの中、かすかな涼しさを滲ませて風が吹き抜けてゆく。もうすぐ秋だ。

 物干し台のベンチに座り込んで、僕は何の気なしにスマホの画面に並んだアイコンの一つをタップした。途端に色とりどりの写真の群れが画面いっぱいに溢れる。誰でも気軽に写真を投稿できるこの流行りのSNSを眺めるのが、僕の最近の慰めだ。

 ふ、と画面が白く点滅して、新しい写真が画面に現れた。誰かが新しい投稿をしたのだ。そのひときわ色鮮やかな写真と、アカウント名を見た途端に、僕の心は3センチくらい浮き上がる。

 同年代の女子に絶大な支持を集めているinstagramの女王、それが@Milly252だった。ほんの数か月前から急速にフォロワー数を増やし、instagramを使わない層にまで、そのアカウント名は知られ始めていた。

 フィルタさえかければ、誰が撮ってもそれなりに綺麗な写真が投稿できるinstergramの世界でも、彼女の撮る写真はひときわ輝いていた。高速道路を走る車の残す、トビウオのような光の流線。@Milly252の手によれば、何の変哲も無い新宿のガード下の雑踏も、渋谷の灰色の街の風景も、遠い知らない国のように色めき立って見えた。ふとした写真の中に、彼女の感覚が目一杯に溢れ出していて、それを見ていると、僕は、自分でも信じられないのだけど、不意に心の奥がざわざわとして、泣きたくなるような、切羽詰まったような、すぐにでも彼女に会って、写真の感想を伝えたくなるような、そんな気持ちになるのだった。 僕はこういう、どんなに小さな世界でも、己の個性を強く打ち出してアピールのできる人間には、素直に感心してしまう。どうやったらこんなに恥じらいもてらいもなく、まっすぐに己の個性というものを表現できるのだろう。

 無論、そうは言ったって、僕は彼女がどこの誰かも知らない。年齢も本名も非公表。住んでいるのは、多分、東京のどこか。アニメの魔法少女か、ミュージシャンの「きゃりー」だかみたいなカラフルでポップなファッションに身を包み、細く長い手足を惜しげも無く画面の上に曝け出してはいるものの、彼女の自撮りはいつだってフィルターが幾重にもかけられ、生の肉体の持つ色や温度は丁寧に削ぎ落とされていた。ファンからのコメントにも返事はせず、instergramにしか登場しないのも興味をそそった。誰の素性も簡単に丸裸にしてしまうSNSの世界において、彼女だけは、冷たい画面の奥から、一定の距離を取るようにして、それでもこちらに視線を向けている気がした。

 なんとなく、彼女は近くに住んでいる気がした。@Milly252が最近投稿した、うちの近くを走る鉄道の高架、遠くに茂る神社の森は、僕も時折、散歩の途中に同じ角度で目にするものだったからだ。彼女が新しくアップした、ハナダアジの群れのような群青色に、焼けつく朱の入り混じる夕方の空の写真を見ながら、僕は、そういえばうちにも、こんな髪の色のやつがいたっけ、とふと思った。

 その時、とん、とん、とん、と音がして、誰かが階段を登ってきた。ゴスピだった。

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メゾン刻の湯

小野 美由紀
ポプラ社
2018-02-09

この連載について

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メゾン刻の湯

小野美由紀

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Miyki_Ono cakesのメゾン刻の湯、更新再開しました。今日からゴスピのエピソードが掲載されます。 約1年前 replyretweetfavorite