メゾン刻の湯

誰の中にも、満たすべき空白はきっとある

まっつんが刻の湯から出ていくことを決めた。彼を「認めてくれた」という、怪しげなネットワークビジネスのメンバーたちと一緒に住むのだという。別れの日、求めていた仲間の元に向かうはずのその姿は、どこか寂しげだった。――社会からハミ出たくせものたちの集まる銭湯シェアハウスが舞台の傑作青春小説、第25話です!

まっつんがこの家を出て行くことを決めたのは、それから数日後のことだった。彼の引っ越し先は、彼のビジネスのメンバーだけで集まって暮らしている、47人の巨大なシェアハウスらしかった。

 7月のある日曜の午後、引っ越しのトラックがまっつんを迎えにやってきた。まっつんの荷物は膨大で、ぼくとアキラさんが手伝っても、トラックに全部載せるのに2時間もかかってしまった。一台では積みきれず、2台目を呼ぶ羽目になった。ようやく荷台のほぼ全部が赤い段ボールでうまるころには、同じ色の西日がトラックのフロントガラスに跳ね返り、痛々しく目を刺した。

「じゃあな」と言って、まっつんは白いコンバースをつっかけ出て行った。まっつんは結果として僕以外に別れのあいさつを言わなかった。ゴスピも蝶子も出かけているのか、広い家の中からは物音ひとつもしない。いや、もしかしたらみな部屋にいるのかもしれない。けど、たしかめることはできなかった。部屋にこもってしまった人間は、家の中にいないのと変わりがなかった。どんなに生活を分かち合っていたとしても、他人の部屋には入れない。

 背を向け歩くまっつんの影が、夕闇に染まる一瞬手前の空を吸いこみ、薄くなったり濃くなったりしながら、ゆらゆらと石畳の上を泳いでゆく。

「まっつん」と僕は声をかけた。「少しの間だけど、一緒に暮らせて楽しかったよ」

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メゾン刻の湯

小野 美由紀
ポプラ社
2018-02-09

この連載について

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メゾン刻の湯

小野美由紀

”正しく”なくても”ふつう”じゃなくても懸命に僕らは生きていく。「傷口から人生」の小野美由紀が銭湯を舞台に描く、希望の青春群像劇! どうしても就活をする気になれず、内定のないまま卒業式を迎えたマヒコ。住む家も危うくなりかけたと...もっと読む

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