まっつんがこの家を出て行くことを決めたのは、それから数日後のことだった。彼の引っ越し先は、彼のビジネスのメンバーだけで集まって暮らしている、47人の巨大なシェアハウスらしかった。
7月のある日曜の午後、引っ越しのトラックがまっつんを迎えにやってきた。まっつんの荷物は膨大で、ぼくとアキラさんが手伝っても、トラックに全部載せるのに2時間もかかってしまった。一台では積みきれず、2台目を呼ぶ羽目になった。ようやく荷台のほぼ全部が赤い段ボールでうまるころには、同じ色の西日がトラックのフロントガラスに跳ね返り、痛々しく目を刺した。
「じゃあな」と言って、まっつんは白いコンバースをつっかけ出て行った。まっつんは結果として僕以外に別れのあいさつを言わなかった。ゴスピも蝶子も出かけているのか、広い家の中からは物音ひとつもしない。いや、もしかしたらみな部屋にいるのかもしれない。けど、たしかめることはできなかった。部屋にこもってしまった人間は、家の中にいないのと変わりがなかった。どんなに生活を分かち合っていたとしても、他人の部屋には入れない。
背を向け歩くまっつんの影が、夕闇に染まる一瞬手前の空を吸いこみ、薄くなったり濃くなったりしながら、ゆらゆらと石畳の上を泳いでゆく。
「まっつん」と僕は声をかけた。「少しの間だけど、一緒に暮らせて楽しかったよ」
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