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『美女は天下の回りもの』(マガジンハウス)
フィギュアスケートを見に、長野オリンピックに行ってきた。
ああいう一流アスリートたちを見ると、私はいつも悲しくなる。同じように人間として生まれ、どうしてこんなに肉体が違ってしまったのであろうか。それもアメリカ人とかロシア人とかいうのならまだわかる。民族の差ということで仕方ないと思う。
ここでちょっと話が変わるが、三年前にミラノコレクションを見に行った時のことだ。コレクションが終り、ファッションセンターの中を歩いていると、スーパーモデルたちが私のすぐ前を歩いているではないか。ずっと前に見たパリ・コレの時もそうであったが、モデルたちはすぐに次の会場に移動するため、お客と一緒にどどっと歩く。お客といっても、みんなプレスの人たちで、ファッションジャーナリストや編集者たちだ。みんなプライドがあるため決してミーハーなことはしない。わりと無視した態度をとる。
わたしゃ、そりゃあびっくりした。エスカレーターで降りる際、私のすぐ目の前にナオミ・キャンベルとシンディ・クロフォードが談笑しながら立ってるじゃないの。私はよっぽど写真を撮ろうかサインを貰おうかと思ったのであるが、同行のジャーナリストがそれだけはやめてくれと必死で言うので諦めた。その代わり彼女たちのモデル・ウオークというのを本当に間近で観察した。長い脚をすっすっと前に出し、ややヒップを左右に振る……。さっそくひとけのないところでやってみた。が、まるっきり違うぞ。仕方ないか、脚の長さと全体のバランスというものがあるか……。
さて、美しい肉体を持つオリンピック選手たちを見て思った。こういう肉体のエリートを今さら目指しても仕方ない。生まれついての才能というものもあろう。近くで見たから断言出来るが、ナオミ・キャンベルみたいな体に生まれ、ああいう風に体をデザイン出来る人というのは何万人にひとりである。それに彼女の体を、本当に男の人が好きかどうかというのは、はなはだ疑問である。
私がつくづく羨しいのは、エッチっぽいカラダというやつですね。モテるのをいいことに、三十八歳の今日まで好き勝手し放題をしているテツオがつくづく言う。
「顔がジミで、カラダが派手というのがいちばんいい」
私のまわりの若いコで、それにぴったりの女の子がいた。顔は普通っぽい童顔なのであるが、バストが八十六、ウエストが五十五センチという数字を誇った。彼女がセーターを着ていると、同性ながら目のやり場に困ったものである。
ここまですごくなくても、男の人が誉める女の人のカラダを見ていると、女のそれとかなり違っているのがわかる。私の男友だちは、ノースリーブの袖からのぞくぽっちゃりした二の腕とか、ミニからのぞくピチピチの太ももを見ると“たまらん”そうだ。パンツ姿の後ろのちょっと下がり気味のヒップも可愛いと言う。つまりモデルタイプの完璧なボディなどあんまり望んでいないのである。
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