「一九六〇年代が終わるまでに人間を月に送り込む」とケネディー大統領が演説したのが一九六一年。その時二十四歳だったマーガレット・ハミルトンは、アポロが自分に関係のある話だとは思わなかっただろう。彼女はマサチューセッツ州ボストン近郊にあるMITリンカーン研究所でソ連機の自動追尾システムの開発に携わっていた。田舎町に生まれた彼女は、大学で数学を学んだ後、結婚し、北の都ボストンに移り住んで、後に女優となる一人娘のローレンを生んだ。 当時はまだ働く女性は少なく、技術職ではなおさらだった。夫が学生だったため、彼女の収入が一家を支えた。
二年ほど経った一九六三年のある日、ハミルトンはある噂を耳にした。同じMITのインスツルメンテーション研究所(現ドレーパー研究所)が、「月に人を送るためのコンピューター」を開発しているという噂だった。「一生に一度のチャンスだ」と思った彼女はすぐに電話をかけ、その日のうちに二つの部署と面接を取り付けた。面接の日に両方から合格の知らせが来た。一方が本命だったが、もう一方を断って相手を傷つけるのが嫌だった彼女は、コイントスで決めてくれと伝えた。本当にコイントスをしたかはわからない。彼女は結果的に望んでいた部署に雇われ、アポロ誘導コンピューターのソフトウェア開発をすることになった。
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