究極のエゴ

「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!人気コミック『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕がひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕の書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。


ちょうどその頃、ある唐突なニュースがNASAラングレー研究所に降ってきた。

「は? ヒューストン? 誰がそんなクソ田舎に行くか!」

フェジットがニュースを聞いた時、そんな風に怒鳴っただろう。フェジットたちの宇宙タスク・グループがラングレー研究所から独立してテキサス州ヒューストンに移転し、新しいNASAセンターになる。そんな指示が、突如として本部から降ってきたのだ。日本の感覚でいえば、テキサスは「亜熱帯にある北海道」といったイメージだろう。灼熱。湿気。地の果てまで続く牧場。牛。牛。牛。牛。ヒューストンは大都市だが、ラングレー研究所のあるバージニアとは文化が全く違う。ほとんど島流しのようなものだった。

そうして七百人の技術者が渋々とヒューストン郊外の広大な空き地に移転してできたのが、NASA有人宇宙飛行センターだった(後にジョンソン宇宙センターと改称された)。フェジットは新センターの中心メンバーとなった。

一方、ハウボルトはヒューストンに行かなかった。彼に声がかからなかったのか、あるいは彼自身が頑固に拒否したのかはわからない。どちらにしても、ラングレーに残されたハウボルトはモード選択の議論からも取り残された。だが、ヒューストン移転組がラングレーを出発する頃には、皆すっかり月軌道ランデブー派に「改宗」していた。

しかしまだ最大の強敵が残っていた。フォン・ブラウンだった。彼と、彼が率いるNASAマーシャル飛行センターは地球軌道ランデブー・モードに固執していた。その理由のひとつは政治的なものだったと言われている。地球軌道ランデブー・モードは一回のミッションで複数機のロケットが必要なので、ロケットを担当するマーシャルの役割が大きくなる。対して月軌道ランデブー・モードならばヒューストンの役割が相対的に大きくなる。モード選択はセンター間の主導権争いでもあったようだ。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

コルク

この連載について

初回を読む
宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─

小野雅裕

銀河系には約1000億個もの惑星が存在すると言われています。そのうち人類が歩いた惑星は地球のただひとつ。無人探査機が近くを通り過ぎただけのものを含めても、8個しかありません。人類の宇宙への旅は、まだ始まったばかりなのです…。 NASA...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません