​自己犠牲する母はなぜ「泣ける」のか(後編)

不道徳なお母さんライターが、日本の「道徳」のタブーに踏み込み、軽やかに、完膚なきまでに解体! 歴史をさかのぼり、日本人の「道徳観」がどのようにつくられていったか、その過程をさぐります。さて、現代日本でもっとも身近にして最強の「感動コンテンツ」……それは「子のために生きる母」。大正時代に浸透しはじめた「母性」という言葉は、昭和に入り、ついに愛国思想と結びつきます。今回も必読です!

夫が頼りにならない大正ワーキングマザーの嘆き

文学を読んで恋愛に目覚め、自我解放を求めたのは、良妻賢母教育や封建的な結婚制度に反発する若い女性たちも同様だった。明治末期から大正期にかけて現れたこうした「新しい女性」たちの一人に、婦人解放運動家の伊藤野枝がいる。彼女は「多少文学的趣味によって自我の覚醒を暗示された婦人」(「自由意志による結婚の破滅」)として、親族が決めた結婚相手を振り切って英語教師(辻潤)と情熱的な恋愛結婚をなしとげる。しかし憧れの先生と暮らす幸福感は、子供が生まれたことで終わりを告げる。子供を持って一人前になったと実感する野枝とは裏腹に、夫は育児には関わろうとしなかった。

 彼の頑固なまでの利己的態度をはっきり見得るようになったのはその子供に対する態度からでした。私は子供が少しずつ育ってくるにつれて、彼にはとうてい頼れないと思ったのでした。自分がどんなに無力であるかを考えると私は心細くてたまりませんでした。しかし子供を持った三十を越した男が、今もまだ、自分が何をしていいか分らないといって手をこまねいているのを見ると情なくもなりましたが、どうかして自分がしっかりしなくてはならないのだという心持に鞭韃されるのでした。
(……)
私は子供の世話、家の中のすべての仕事、それにたべる心配から、自分の勉強、仕事とおっかけられるように忙しい生活をしていたのです。そうしていながらも、私の心にだんだんに食い込んでくる考えは、Tが何のたよりにもならない事と、今自身の生活を変えなければもう一生重荷を背負って苦しまなければならぬという事でした。二人目の子供が生まれてからは私の家は私には一日一日に重さを増していく重荷でした。私が自分の境遇を悲しむときには、 Tも間違いなく私の重荷でした。
「成長が生んだ私の恋愛破綻」伊藤野枝(『婦人公論』1921年10月号)

現代のSNSに掲載されていてもおかしくない「ワーキングマザーあるある」だ。働いて自分の力を家の外で発揮したい「新しい女」は、成長過程で刷り込まれた妻としての務めも果たさずにはおれない。一方、あまり働きたくない「新しい男」は、たいていは労働以上に退屈な家事育児はもっとしたくないのである。このようにして破綻した恋愛結婚は決して少なくなかったのだろう。

自己犠牲の母性愛で自我実現

100年の恋を急速冷却させた伊藤野枝は、辻潤と別れて家事育児を積極的に担うアナキスト大杉栄と「フレンドシップ」に基づく同棲生活に入る。そして「恋愛に対する不用意な惑溺」を反省し、自己を完成させるのは自己犠牲を伴う母性愛だという結論に至る。

かつては、他人のそうした生活に対して、ひそかに侮蔑の念をさえ持ったけれど、自分がその境地にまでゆきついた時に、私は子供のためには、どのような犠牲でもほとんど破格な安易さで払えるのを、何の不思議もなく、むしろ当然の事だとしていた。来るべき次の時代に立派に役立つような一人の人間を育てあげるという事が、どんなに光栄ある仕事だと考えられたか? 私は、母としての務めを出来るだけ完全に果たすためには、自分のあらゆるものを犠牲にしてもいいと思った。自己完成—何年かの間、私の頭を去らぬそういう信条さえも、今は一人の母としての悔いを少なくするため、というふうに考えられてきたのだった。
「自由意志による結婚の破滅」伊藤野枝(『婦人公論』1917年9月号)

子供から唯一無二の存在として求められる母親体験は、多くの女性に「かけがえのないわたし」が肯定されるという陶酔感をもたらす。自己犠牲を伴うことで、母性アイデンティティはさらに崇高なものとして彼女の中で確立するだろう(わがままだった私が誰かのために自分を犠牲にできるなんて!)。封建的な社会で対等な恋愛を実現することの難しさを知った新しい女性たちにとっても、母性愛は新たな自己確立の手段となった。

母性で女性解放を目指した平塚らいてう

「新しい女」ムーブメントの中心人物である平塚らいてうも、当初は「婦人の中心生命である恋愛」(「処女の真価」大正4年)で自我実現を目指していた。しかし恋愛関係に基づく自由な共同生活で自我を解放したいという理想も、子供を産んだとたん女性だけが自我どころではなくなるというジレンマに行き当たる。行き詰ったらいてうはスウェーデンの母性主義フェミニスト、エレン・ケイの思想にふれ、「母性」こそが新たな女性解放のキーになると考えた。子供は国家のものだから育児中の女性は国家が保護すべきと訴えるお嬢様育ちの平塚らいてうと、母性偏重するな女も経済的に自立せえ!とシバキ上げるワーキングマザー与謝野晶子との母性保護論争(大正7~8年)は有名だ。有力誌で繰り広げられたこの論争をきっかけに、翻訳語として大正期に登場した「母性」という言葉は国民の間に浸透していく。

「母性」に目覚めても、平塚らいてうとあまり働かない青年画家・奥村博史との共同生活は苦しいものだった。窮地にあったらいてうを助けたのは、前回紹介した自由主義教育家の小原國芳だ。彼もまた、エレン・ケイの影響を受けた母性礼賛者だった。小原國芳の自伝によれば、彼はらいてうの相談に応じ、奥村博史を自身が経営に関わる成城学園の美術教師として雇用したそうだ。さらに2人の子供を成城学園、玉川学園に無月謝で入学させたというから優しい。

大正時代の家庭崩壊論

母性こそが女性の価値だとする母性主義フェミニズムは、婦人参政権の要求に比べれば男性にとって受け入れやすい主張だったとみえて、バッシング一辺倒だった新しい女への風当たりは少しずつましになっていく。しかし自我をすべて捨てて子供に尽くすべき母親が権利を要求するなどもってのほか、とエクストリーム母性幻想でフェミニストを叩く論者もあらわれた。『教育より見たる女性と母性』(大正14年)の著者である教育学者、福島政雄である。福島政雄は家庭の中心であるべき母親が外で働くようになった産業革命のせいで、家庭が崩壊しつつあると嘆く。家庭崩壊論が大正時代からあったとは驚きだ。母親が家庭の中心になったのは明治中期以降のことなのに、崩壊までずいぶん早い。

久遠の母性とは何であるか。これこそ正しく宗教の世界である。(…)併しその母なるものは永遠の世界に覚醒するものである。そこにおいては吾人は一肉体人なる母を通してその母らしさによって永遠の宗教の世界にふれて行くものである。即ち絶対犠牲としての母からして永遠の母性は出現するものである。エレン・ケイは母性を述べてをりながらその絶対犠牲の悩みを説くこと割合に軽いやうである。(…)吾人男子といへども、吾人の肉の母親を憶念することにおいてまざまざとこれを感得することが出来る。(…)エレン・ケイは母のために権利を主張することは甚だつとめて居るけれども、肉体人としての母性の絶対犠牲の苦悩にこもる大なる力を見て居ることが少い。(…)而してこの苦悩こそはやがて肉体人としての母が永遠の世界にふれ久遠の母性の面影をやどすに至る縁である。
『教育より見たる女性と母性』

明治22年生まれの福島政雄は、自身の母親に尽くされた経験をもって「久遠の母性」を感得したようだ。したがってエレン・ケイに代表されるフェミニズムについても、「近時西洋の誤れる思想が伝来して」「東洋本来の深き思想に安住する女性は益々裏面にかくれて見えなくなって来た」と否定的である。ノスタルジーにまどろむ母性幻想の住人にとって、権利の主張ありきの西洋思想にかぶれた女など異物でしかないのだろう。しかし「肉体人としての母性の絶対犠牲の苦悩」は、生身の人間にはハードすぎる。最終的に、生身の女性とはまったくうまくいかなかったことを白状しているのが面白い。

吾人も亦深く省れば此の人生における淋しき人の一人である。詩歌の世界において女性を求めようとして幻滅し、夢幻の世界において女性に接してまたその幻滅に苦しむ。これはエレン・ケイの問題ではなく正しく吾人一人一人の主観の根本問題である。(…)現実の吾人が男子として女性にめぐりあふことによって味ふ世界は決して(…)楽観すべき世界ではなく、実に家庭こそはこの幻が強くしたがってその幻滅が最も痛切なる場所である
『教育より見たる女性と母性』

そりゃ妻ばかりに自己犠牲を強いてたら、現実の家庭生活はうまくいかないだろうよ、と納得の結論である。そもそも自分の母親そっくりな女性が現れたところで、その女性は我が子一筋に献身して夫を顧みないだろうから、自分の母親のように尽くしてくれるはずもない。母性幻想、ひとたびハマったら慢性的な愛の飢餓状態に陥るおそろしいドラッグのようだ。

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不道徳お母さん講座

堀越英美

核家族化で家庭教育はダメになった? 読み聞かせで心を育てるって……本当に? 日本で盲信されてしまっている教育における「道徳」神話の数々。そのすべてを、あの現代女児カルチャー論の名著『女の子は本当にピンクが好きなのか』でセンセーションを...もっと読む

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コメント

kayako_sub 白先生の事が書いてあるというので読み始めたんだけど、全体的にいい記事の匂いがするから後でちゃんと読む。 https://t.co/KC3ueYuKP2 2年以上前 replyretweetfavorite

squidink0 これの後半から、童心の詩人北原白秋がいかにして、愛国詩を、戦争詩を作るようになったかが、近代母性神話が戦中どう取り込まれていったかの考察とともに書かれてます。 https://t.co/f7g54lKJPX 2年以上前 replyretweetfavorite

ymue @ADTKFM これですえ https://t.co/2WUeq0LPrO 2年以上前 replyretweetfavorite

NCLLLLLN この連載、はやく書籍化して欲しい。周辺で伊藤野枝がブームになったとき、なぜわたしだけ生理的嫌悪が勝ってしまったかの解答があった思い。 自己犠牲する母はなぜ「泣ける」のか(後編)|堀越英美| 2年以上前 replyretweetfavorite