夢と日常の区別がない日記
平野啓一郎(以下、平野) 先ほど、「空想画には興味がなかった」と仰っていましたが、一方で「夢」を絵に描くことはあると自伝のなかで書かれていました。夢というのも横尾さんの絵のモチーフとして、その後もずっと大きな意味を持ってきますが、最初はご自分が見た夢を書き留めておこうということだったのですか?
横尾忠則(以下、横尾) 夢の絵はね、僕が小学2年生のときに、家の前の電柱に大きな竜が黒雲に乗ってやってきて、その電柱に巻きつくという夢を見たんですよ。そのことを父親に話したら、自分が辰年だからその絵を描いてくれと言うんです。父親からそう言われて、仕方なしに描いたんですよ。それが最初の夢の絵です。
それからしばらくたって、20代後半から日記もつけだして、同時に夢日記も書くようになって、そんな日記帖がもうずいぶんな数で50冊以上になります。
平野 横尾さんの日記の話が出たので少し伺いたいです。日記がそんなに長く習慣として続くというのは大変なことだと思うのですが、「絵を描くこと」と同時に「日記を書くこと」に何か意味があったのでしょうか? 日記につけておくと、絵を描くときの考えの整理になるとか。
横尾 いや、そこまで考えなかったですね。習慣化されてくると、朝に顔を洗ったり、夜にお風呂に入ったりするのとそう変わらない。そういう感じで一日を締めたり、夜に見た夢を忘れないために朝に書くとかね。
まったく苦にならないから続けてきただけで、いつかこれを絵のテーマにしようとか、まとめて本を出そうとかいう発想は全然なかったですね。意味がないから続いたんでしょうね。
平野 横尾さんはツイッターアカウントも持っていて、日々のツイートもすごく面白い。横尾さんはアーティストではあるけれども、もう一方で著述家でもあって、そのなかで特に日記が読んでいていつも面白いなと思うんです。ご自身で読み返したりされるんですか。
横尾 それはしないね。たまたま活字になった場合は校正をしますけどね。
昔は、「普通の日記」と「夢日記」と両方つけていたんです。最近は、だんだん日常そのものが夢化してきて、夢そのものが日常化してきたので、それに夢も日常も本来は一つのもので、それを相対的に捉えること自体がむしろ不自然だと思うので、夢のことを書いても「これは夢です」と書かなくなりました。
そうすると、知らない人は僕の日記を読んで、「とんでもないことをしてんだな」って思ったりするんでしょうね。とにかく、僕のなかでは夢と日常は区別しないほうが面白いし、加齢とともにだんだんその方向に行ってますね。
僕は自然主義的な絵を描いているわけではない。現実を描いた絵のなかに、想像した絵を加えたりする作業は、それ自体が日常と創作が一体化したものでしょう。だから、日記も夢と同化していていいんじゃないかと思います。
細胞のなかに定着した死の恐怖
平野 ちょっと時間を巻き戻して、アーティストになる以前の話に戻りたいと思います。横尾さんがちょうど幼稚園に通っていた頃、日本は太平洋戦争に突入します。戦時中の記憶もいろいろ本に書かれていますが、そのときの戦争体験は創作活動に大きな影響を及ぼしているのでしょうか。
横尾 影響を及ぼしているかどうかはわからないけれども、戦争というのは死と直結するものなので、死の恐怖、それがとにかく非常に強かったですね。戦争で死ぬかもわからない、と。それから僕は養子でもらわれてきて、両親が2人とも老人だから、相当早くに僕は親を失うなという不安感がずっとあった。親が死ぬことがすごく怖かった。