2時間半の講演を通してもっとも印象的だったのは、やはり村上が舞台袖からあらわれた最初の瞬間にほかならない。いまおもいだしても、何かずいぶん非現実的な光景だったとしか形容できないのだ。司会者の呼びかけに応じて、本人が舞台へ登場する。やや緊張した面持ちで聴衆の前へ進み出る、グレーのジャケットを着て、青いスニーカーを履いた男性の姿。会場にいる観客すべてが、いま自分が見ている人物があの村上春樹であるという事実をうまく飲み込めず、彼がゆっくりと壇上中央にあるマイクへ向かって歩いていくようすを、ほとんど呆然としながら眺める。
つい反射的に、先日テレビで見たドキュメンタリー番組で、海洋学者の乗った潜水艇が世界で初めて、生きたダイオウイカの撮影に成功したエピソードを連想してしまう。500人分の声にならない声、ため息のような感嘆があわさって、会場全体はまるで麻痺したようになり、壇上の男性をただ見つめるほかない。この人を知っている、と僕はおもう。なぜなら僕は、この作者が書いた小説をひとつ残らず、20年以上かけて読みつづけてきたのだ。村上に関する記憶は長期にわたり、なおかつ膨大で、目の前にいる本人と結びつけるにはあまりに時間が足りない。会場にいる500人がそれぞれに抱える村上作品の記憶が、空気中に密集しているように感じる。
「えー、こんにちは」と村上は言う。まるで個々に直接語りかけられているような気がして、聴衆全員が小さな声で「こんにちは」と返事をしてしまう。まちがいなく村上春樹だ。僕はこの声を聞いたことがある(*1)。信じがたいことだが、僕はいま村上春樹の話を聞いているのだ!
第一部は、村上がひとりで30分ほどの講演を行う。そこで村上はまず、彼自身が人前に出るのを好まない性格であること、平穏な生活を乱されるような状況を避けてきたことを説明しはじめる。「僕はかっぱや烏天狗(からすてんぐ)じゃないんです。普通の人間なんです」と訴えるのが妙におかしくて、たくさんの人が笑い出してしまう。「本当は今日も、よほど止めて帰ろうかとおもいました」と彼は言い、観客がまた笑う。やっぱりこの人、途中で止めて帰ろうかどうか迷っていたのだ。そこからしばらく、世間で知られる有名作家「村上春樹」と、ごく普通の生活を送る一個人としての彼が感じるギャップがおもしろおかしく語られる。サービス精神にあふれた、漫談みたいな内容だ。
──京都の町を歩いていたら、お寿司屋さんの前で呼び込みをしている女性がいまして、僕を見て「あっ、村上さんじゃないですか。ここで何してるんですか」って言うんです。でもね、「何してるんですか」って言われても、僕だって道ぐらい歩きますよ。その女性は僕の本を読んでくれていて、あれこれ話しているうちに、気がついたら僕、がんこ寿司っていうそのお店に入ってお寿司食べてたんです。
──自宅近くをマラソンしてると、急に知らないおじさんに呼び止められて、「この辺に村上なんちゃらの家があるらしいけど、知ってるか?」とか訊かれたりするんですよ。だから僕「さぁ、どうでしょう、知らないなあ」って答えて立ち去ったんですけど、家を探すぐらい興味があるんなら、せめて名前は全部覚えて欲しいですよね。
会場で話された内容は採録され、すでにいくつかのメディアで発表されているが、それらの採録には収まらない細かいニュアンスこそが、村上春樹という作家の人間性をあらわしているように感じる。第二部、公開インタビューの聞き手として登壇したエッセイスト・湯川豊氏とのやり取りにおいて特にそう感じた。かつて村上作品の編集者でもあった湯川と村上は旧知の仲であり、リラックスした雰囲気でインタビューが進む。
湯川が以前にセッティングした、村上とジョン・アーヴィングとの対談が話題になったときの、「あれ、うまくいかなかったですね」という村上の率直な反応。また、小説で引用された音楽の話題での「よく『巡礼の年』なんていうマイナーなレコードを取り上げようとおもいましたね」という質問に、「オタクだから……」と恥ずかしそうに口ごもった表情も実にいい。
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