十月二十三日の夕刻、頼朝から呼び出しを受けた政子が常の間に伺候すると、頼朝と共に大江広元も待っていた。
「前司もおいでとは、ただごとではありませんね」
政子が明るい調子で言ったが、二人は沈痛な面持ちのままだ。
頼朝が苦々しげに言う。
「実は、そなたを呼んだのはほかでもない。そなたには内々のことを任せているので、いろいろと雑説も入ってきているのではないかと思うてな」
「雑説、と仰せですか」
政子には何のことだか分からない。
「実は──」と言いつつ、広元がその皺深い顔をしかめた。
「実は九郎殿の叛心が明らかになったため、われらは密かに九郎殿を誅すべく、土佐坊昌俊という悪僧を派遣しました。ところが昌俊めが襲撃に失敗したのです」
広元が事の顛末を語った。
九月二十九日、郎党や家人六十人余を引き連れて鎌倉を出発した昌俊は、十月十日に京都に到着するや、義経の隙をうかがった。そして十七日、義経の郎党たちが出払った隙を狙い、義経の住む六条室町亭を襲った。だが、逆襲に遭い、さらに行家が兵を率いて駆け付けてきたので、昌俊は捕まり、郎党や家人と共に殺されたという。
「何という──」
「賢いそなたのことだ。もう気づいておるだろう」
頼朝が言わんとすることを、すでに政子は分かっていた。
「鎌倉から刺客が送られたことを、九郎殿は事前に知っていたのですね。それで、わざと隙を見せて襲わせ、近くに潜伏していた十郎殿らを駆け付けさせたと──」
「さすがだな」と言って、頼朝が満足げな笑みを浮かべる。
「それだけならまだしも──」と、広元が苦々しい顔で続ける。
「九郎殿は十八日、院に迫って武衛様追討の院宣を賜ったとのこと」
院宣は容易に出るものではない。義経は襲撃があるのを知っており、事前に根回ししていたのだ。
政子が問う。
「なぜ昌俊のことが九郎殿に漏れたのですか」
「昌俊は、誰に知られることもなく密かに鎌倉を出ていった。その手の者たちも夜陰に乗じて、何人かに分かれて別々に西に向かった。それでも誰かが、その動きを知っていた」
「つまり」と言いつつ、広元が唇を噛む。
「その誰かとは、鎌倉府の中枢にいる者でしょうな」
「誰かが九郎殿に内通していると仰せですか」
「内通とまでは行かずとも、同情しているとか──」
「畠山殿ですね」
「それも考えたのだが、彼奴は、昌俊が刺客として西に向かったことを知らないはずだ」
昌俊が出陣した当時、畠山重忠は国元にいた。
「そこでだ」と言いつつ脇息を脇に押しやると、頼朝が言った。
「それとなく家中を探ってほしいのだ」
「わたくしにですか」
「そうだ。そなたは雑仕女や釜焚きの爺とも親しい。誰かが昌俊のことを聞き出そうとしていたとか、誰かが商人らしき者と何かを話し込んでいたとか、そうした話が入ってくるだろう」
「分かりました。でも、ご満足いただけるものが聞き出せるかどうかは分かりません」
広元が腕組みして首をひねる。
「われらも鎌倉から京に向かう使者らしき者を探しておるのですが、それらしい者はおりません」
「もう、そこまで探っていたのですね」
「はい。鎌倉を出るまでは商人や修験に化けることもできますが、九郎殿に迅速に知らせるには、駿河あたりで馬を借りねばなりません。その線を当たっておるのですが、どれも常の使者以外はおりません」
「常の使者──」
「はい。鎌倉におる北条殿と、京都にいる九条殿とのやりとりを受け持つ常の使者です」
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