​自己犠牲する母はなぜ「泣ける」のか(中編)

不道徳なお母さんライターが、日本の「道徳」のタブーに踏み込み、軽やかに、完膚なきまでに解体! 歴史をさかのぼり、日本人の「道徳観」がどのようにつくられていったか、その過程をさぐります。さて、現代日本でもっとも身近にして最強の「感動コンテンツ」……それは「子のために生きる母」。母が神聖なものとされたのは、実はそう昔のことではないようで!?

子供を尊ぶ童心主義の登場

大正期に入ると、資本主義経済の進展に伴い、国民の間に自由や個人を重んじる風潮が盛り上がる。こうした大正デモクラシーの機運の中で、「富国強兵を支える人材予備軍」という明治期の子供観が大きく変化する。子供には子供の世界があり、子供は世俗に汚されていない純粋無垢な存在であるがために尊いとする「童心主義」が誕生したのだ。

資本主義化と識字率の向上は、子供に対する新しい価値観を受け止める学と余裕のある「ホワイトカラー家庭(新中間層)の主婦」を大量に産み出していた。彼女たちの多くは女学校で良妻賢母教育を受け、清らかで暖かな家庭(ホーム)を作って子供の教育責任者たることが女性の最も崇高な使命だと考えていた。雑誌『赤い鳥』を中心に花開いた童心主義による童話童謡文化は、こうした主婦層、そして儒教教育に飽き足らない教育者に大歓迎されたのである。

児童文学がバトル路線からノスタルジック路線に

童心主義文学が、明治期のベストセラー児童文学者・巖谷小波の作品と比べてどれほどピュアであるか。たとえば童心主義の第一人者である北原白秋が、桃太郎を童謡に仕立てるとこうなる。

「むかし噺」(大正11年)

山へとゆくのはお爺さん、
川へと下るはお婆さん。

山では柴刈る鉈の音、
川では桃呼ぶ小手まねき。

むかしのむかしはなつかしい、
いつでも青空、日和鳥。

ねんねのお里はなつかしい、
いつでも夕焼、藪雀。

山へとゆくのはお爺さん、
川へと下るはお婆さん。

犬が登場するなり「頭から唆み殺してくれるぞ」と殺意をみなぎらせていた巌谷小波の「桃太郎」と比べると、ずいぶん平和である。鬼どころか、桃太郎さえいない。ここにあるのは、「桃太郎」を読み聞かせられた幼い日々とふるさとへのノスタルジーだ。このような牧歌的な童話・童謡のイメージは、現代の幼児向け文化とも地続きである。

お母さん大好き詩人・北原白秋

九州の名家の長男として生まれた北原白秋が、文学の道に反対する横暴な父親から守ってくれた母親への思慕を、折に触れ作品にしたためていたことは知られている。

「母の乳を吸ふごとに/わがこころすずろぎぬ。/母はわが凡(すべ)て。」
(詩集『思ひ出』収録「母」より抜粋、明治42年)

「お母さまはこひしい、/お空のやうにこひしい。/お母さまはよい方、/ほんとうにいつもよい方。」
(童謡集「月と胡桃」収録「お母さま」より抜粋、昭和4年)

巌谷小波ら明治の文学者はたいてい士大夫層出身で、父や兄から漢学などの教育を受けて文学の素養を得ているが、その生育過程に母の影は薄い。北原白秋は富裕商人の子供という文学界では新しい階層に属しており、家庭における母の存在感も異なっていたのだろう。実家が経営の危機に陥ったとき、長男として帰郷してほしいと親族から頼まれた白秋は、文学者として身を立てるため東京に残る道を選んだ。そんな彼にしばらく小判を送り続けたのも母なのである。

『北原白秋』(三木卓)によると、中学に進学した北原白秋は優等生だったが、文学かぶれを数学教師に嫌われて落第し、学校や父と対立することになる。失意の折、既婚男性との恋愛を荒々しく詠んで明治社会のタブーを打ち破った与謝野晶子の歌集『みだれ髪』に出会い、「狂気のやうに感激」し、詩人を志す。

明治42年に初の詩集『邪宗門』を刊行するが、女性とのキスをテーマにした収録作「接吻の時」をみても、「瘧(ぎゃく)病む終(はて)の顫(ふるひ)」、「骸(かばね)の夜のうめき」、「人霊(ひとだま)色の木の列は、あなや、わが挽歌うたふ」と、キス一つでゾンビの大群に襲われそうな退廃的な作風で、童心とは程遠い。明治社会において「恋愛」はそれほど反社会的なもので、それだけに若者が社会に抗って自我を実現するには、まずは「恋愛」だったのだろう。

明治43年に人妻の松下俊子と恋に落ち、姦通罪で収監された事件は有名だ。白秋が歌の中で「ヒステリー」と呼んだ俊子は情緒不安定で、その劇場型恋愛は多くの短歌を生み出した。しかし結婚生活は白秋の両親との折り合いが悪かったこともあって、すぐに破綻する。2番目の妻である詩人の江口章子とは、「二人はただ互に愛し合ひ、尊敬し合ひ、互に憐憫し合つた」(「雀の卵」序文、大正9年)と崇高な精神性に基づく西洋的な夫婦愛が実現するかに思えたが、章子を快く思わない白秋の弟に厳しくなじられ、彼女は逃げ出してしまう。名家の長男である明治男性には、やはり個性的な女性との近代的恋愛は難しかったのだろう。大人しい三番目の妻と結婚した前後から、『赤い鳥』で童謡詩人としての名声をものにするようになる。

バブみを求めて自我解放

『子ども観の近代』の河原和江氏は、「童心」は「恋愛」と同様、「近代日本人の自我解放の手立て」の一翼を担ったと指摘している。

 おお、私たち、以前はみんな子供であつた。子どもでみんなその産みの母親の懐に抱かれ乍ら、その豊満な乳房を両手でぺた/\うちたたいては、ちゆう/\/\と吸つたものだ。
(…)
 きこえる、きこえる、この子守唄が、今でも、大人になつた今でも私たちの耳にきこえて来る。何といふ柔かな優しい温かな節まはしだつたらう。この母親のこの子守唄で、初めて私たち子供の詩情は引き出されたものだ。この恩愛の、詩の根本を忘れてはならぬ。日本の子供は誰でもが、この日本の郷土のにほひを忘れてはならぬ。
 芸術教育の本意も、自由な童謡復興の本意も、根本は一にこの母親の慈悲と温情にある。
北原白秋「童謡本論」(『芸術自由教育』大正10年1、2月号)

あゝ、郷愁! 郷愁こそは、人間本来の、最も真純なる霊の愛着である。此の生れた風土山川を慕ふ心は、進んで、寂光常楽の彼岸を慕ふ信と行とに自分を高め、生みの母を恋ふる涙はまた、遂に神への憧憬となる。此の郷愁の素因は、未生以前にある。
 この郷愁こそ、依然として続き、更に高い意味のものとなつて、常住、私の救ひとなつてゐる。
北原白秋「一 新興童話について」(『岩波講座日本文学 新興童話と児童自由詩』昭和7年)

学校を嫌った白秋は当時の煩悶青年同様、「恋愛」での自我実現を求めたが、道徳から離れて愛を成就するには女性の人権を尊重する倫理観が必要で、それは多くの日本人には縁遠いものだった。そこで自我がどこまでも抱擁される、道徳も倫理も必要ない「母と子の世界」を自我を解放する場所と定めたのではないだろうか。それはムラ社会とも近代社会とも切り離された、「自然」の世界としてイメージされる。

第二次世界大戦で徴兵された政治学者の神島二郎は、1961年刊行の『近代日本の精神構造』の中で、日本の都市は個人が主体を確立しながら他者と結合していく「ゲゼルシャフト」ではない、ムラ社会が集まった「群化社会」であり、それが軍国主義化を招いたとした。群化社会では個人が尊重されないため、人々は絶えず生存競争と同調圧力にさらされるし、女も享楽や家政の道具でしかないから愛に満ちた家庭も築けない。自己のかけがえのなさを人間関係で確認するのは至難の業だ。

「母」はそんな都市からの逃避先なのだから、「郷土のにほひ」をたたえ、都市文明から切り離された存在でなければならない。近代的恋愛の代替品としての「母の無償の愛」が、「自然」「伝統」と結びつくゆえんである。それは思い出の中で美化されつづけるゆえに、恋愛と違って永遠なのだ。

 わたくしは貧しい。齢四十を越えてもなほ、未だにわづかに保ちえて来た或る幼なごころを、ああ、或はただひたすらに磨き育むのみに過ぎないであらうか。
 然しながら、かうした時、わたくしはいよいよ素直に還る。このわたくしのうしろに、いつも、わたくしは、永遠の母の目守りを感ずる。
北原白秋「月と胡桃」序(昭和4年)

母親を聖化する教育書がベストセラーに

大正期は新中間層の母親に向けて、数多くの家庭教育書が刊行された時期でもある。

なかでも女子教育家・下田次郎の『母と子』(大正5年)は、母を聖なる存在として賛美したことで主婦層に支持され、昭和5年までに23刷を数える大ベストセラーとなった。欧米留学経験の豊富な著者は、聖書や仏教経典、西洋文学やおとぎ話など、古今東西の聖母エピソードを縦横に引用してみせた。そして女性にはこのような神性が潜んでいるのだから、育児という「道徳的修養」の機会に徳を積み、母の尊厳と栄光を手に入れよと、一般の母親層を鼓舞したのである。それまで家庭の中に閉じ込められて侮られていたのに、いきなり光を当てられ神様扱いされた女学校出の奥様たちが、自尊心をかきたてられたことは想像にかたくない。

 母は創造の源であり、希望であり、感激であり、慰安であり、宗教であります。
「序」

なつかしきものは故郷であります。村の榎、鎮守の森、小川の流れ、野に山に、家に人に、故郷の、我れを繋がぬものはありません。而してその故郷の中心となり、憧憬の的となるものは母であります。母の胎内こそは、我等の故郷であります。
「一 母の賛美」

宗教となった「母」も、やはり故郷(自然)と結び付けられている。しかし下田次郎は女子修身教育の第一人者ではあるが、同書でもキリスト教と仏教を同格に扱っているように、特定の宗教を信仰していたわけではない。なぜ「母」を宗教にする必要があったのだろう。

 母は愛の化身であり、犠牲の標本であります。母を説くものは、勢ひ愛を説かねばなりません。 「神は愛なり」とヨハネは言ひました。基督の説法は、愛の宣伝でありました。
(……)
母の生活は、絶えず与ふる生活であります。忍耐といひ、配慮といひ、犠牲といふ、皆他の為めに与ふるものであります。(……)母にはどことなく菩薩の相貌があつて、子には皆観音と拝まれるのも、愛の後光が射すためでありませう。
「一〇 愛」

当時の下田次郎が担っていた女子修身教育は、儒教道徳のもと女性の自我を否定し、忍従を強いるものだった。しかし文学に親しみ、西洋の価値観に触れ始めた女学校出の女性たちは、自我の解放を求めていた。そこで持ち出されたのが、人類の罪をあがなうために十字架に磔にされたキリストの犠牲を女性の犠牲に重ね、慈悲深い観音菩薩を女性の忍耐に重ねることで、女性の忍従を聖なるものとして崇める母性信仰だったのではないだろうか。母性信仰は、自我に目覚めた女性を内発的に忍従させる装置ともなった。

自己犠牲しない母は地獄行き?

子供の自由や個性を尊重する大正自由教育運動の旗手・小原國芳によるベストセラー教育書『母のための教育学』(小原國芳、大正14年)も見てみよう。彼は「お母様のお仕事は苦しいに違いありませぬ」と読者の苦労をねぎらいつつも、「その苦しいなかに困難ななかに、ホントの尊いものがあるのだと思います。どうか苦労してください」と積極的に自己犠牲を求めている。

すなわち乳を授けることをはじめ、母が一切を犠牲にしても、その子を手しおにかけて育て上げて行く苦労。それが母と子とをまた貴く親密にしてくれます。その間に自然、貴い母心が生れ、貴い教育も行われてゆきます。
(…)
実は、この子供のために、苦労する、心配するということが貴いのです。
(…)
もしや、自己の勝手や享楽や虚栄のために、家を外にし、子供と離れ、飛びはねている母があったら、なんという大罪悪でしょう! ありったけの悪名と醜名を注いでも足りないほど、大きな罪人だと思います。かかる女こそは最初に地獄に行くべきです。
「二 教育者としての母」『母のための教育学』(引用は昭和50年版より)

ここでは下田次郎が提示した母性信仰からさらに進んで、子供自身の利益そっちのけで苦労そのものに価値を見出す観点が生まれている。「罪人」「地獄に行くべき」という言い回しからも、自己犠牲の求めにキリスト教の背景があるのは明らかで、事実、小原國芳はクリスチャンなのだが、それだけで育児以外の楽しみを持つ女性を地獄に落としたがるのは理解しがたい。

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不道徳お母さん講座

堀越英美

核家族化で家庭教育はダメになった? 読み聞かせで心を育てるって……本当に? 日本で盲信されてしまっている教育における「道徳」神話の数々。そのすべてを、あの現代女児カルチャー論の名著『女の子は本当にピンクが好きなのか』でセンセーションを...もっと読む

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i_zawa 自己犠牲する母はなぜ「泣ける」のか(中編)| 2年以上前 replyretweetfavorite

eri_n_551 この連載面白い 2年以上前 replyretweetfavorite

ayai0014 https://t.co/wLY2tPPDeM 2年以上前 replyretweetfavorite

sisterhood_mew まっまだいすき芸人回…?(空耳) https://t.co/HxpsrprTBA 2年以上前 replyretweetfavorite