言語以前の存在に近づく
ロバート キャンベル(以下、キャンベル) 近年の世の中や日本語の状況をご覧になって、自らが積み残した、あるいはこれからやっていきたいのはどのようなことでしょうか。そのあたりをぜひお聞きしたいです。
谷川俊太郎(以下、谷川) そういうものはあんまりないんですけれどね。いくら一人っ子で、社会にあんまりエンゲージしない人間だといっても、もういまの世の中は本当に困っちゃいますね。ひ孫が生まれたんだけど、これから育っていく子どもは大変だなと思って。
キャンベル どういうふうに大変だと感じますか。
谷川 自然の方では温暖化とかいろいろありますよね。それから政治面では国と国の戦争ではなくなってきて、テロリズムというものが非常に散発的に出てきている。それからヘイトスピーチなんていうのを見ていると、昔われわれはもっと躾けられていて、子どもの頃から感情のコントロールができていたはずだと思うんだけど、いまどうしてああいうものが野放しになってしまうんだろうと。
人間の感情のコントロールができなくなっているような社会的な事件を見ていると、本当にきつくなって、どうやってこのストレスを解消しようかみたいな気持ちになるんですけどね。
さっきも申し上げたんだけど、人間というのは人間社会で生きているわけだから、みんな社会内存在ですね。だけどそれだけじゃなくて、人間は宇宙内存在でもある。
つまり自然のなかに生きていて、その自然はもちろん宇宙が生んだものです。だから社会内存在であると同時に、宇宙内存在であるというふうに考えると、何かそこで少し視野が開けるっていうのかな、あるいは逆に諦めがつくと言えばいいのか。そういうふうな考え方で、僕は毎日を生きているところがありますね。
だけどやっぱり、どうしても歳を取ってきているわけですから、体はだんだんぼろが出てくるし、死ぬということも当然考えます。だから、ここ十数年はそういうことがテーマになってきています。それが面白いと言うと、ちょっとはしたないんですけども、もう書いている。
僕は子どものとき、自分が死ぬのがそんなに怖くなかったんです。これは河合隼雄さんとお話したときに、河合さんは自分が死ぬのが怖かったって仰ったんだけど、僕は母親が死ぬのがすごく恐かったんですね。
キャンベル はい、わかります。
谷川 それからずっと自分よりも自分が愛する者が死ぬことの方が怖いという感じになっているから、だんだん歳を取って死が近づいてきても死ぬのはそんなに怖くなくて、何かよくないんですけど、むしろ楽しみなんですね。どういう世界なんだろうと。
完全に無になると言う人がいます。「じゃあ、完全に無になるっていうのを経験したい」みたいな感覚ですね。眠るのと同じだったら、それはそれで面白いんですけど。臨死体験の本なんかいろいろ読むと、あれは完全に脳内の化学的な物質と電気的な回路の問題だというふうに、ある程度割り切れるようになりつつあるみたいです。
でも、その状態になぜなるのかということは、全然答えがないわけでしょう。だから歳を取っていくのは、そういう楽しみはありますね。若い頃とは違ってだんだん気になってきて、それに興味を持つというのかな。
キャンベル そのことと言葉の関わりと言いましょうか、言葉が潰えていく、言葉が終焉を迎えるということについてはどう思われますか。
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