修羅の都

そなたは、そんなに生きたいか」 怜悧な人ー6

「武士の世を創る」

歴史上唯一の武家政権をつくった源頼朝と政子。 生涯の願いを叶えるため手を携えて進むふたり。 平家討伐、奥州を制圧、朝廷との駆け引き。 肉親の情を断ち切り、すべてを犠牲にして夫婦が作り上げた 武家政権・鎌倉府は、しかしやがて時代の波にさらわれ滅びに向かう。

新聞連載時から大きな反響を呼んだ、鎌倉を舞台にした歴史小説。
1章まるごと、全12回で連載します。

 六月七日、そぼ降る雨の中、御所の前庭にむしろが敷かれ、なえすいかんこばかまという庶民同然のいでたちをした男が二人、引き据えられていた。はんとき(約一時間)あまりそのままにされていたので、すでに全身はずぶ濡れで、水干は背に張り付いている。

 二人の顔はしようすいしきっており、これまで過酷な仕打ちを受けてきたことを物語っていた。

 常の間で近習に腰をもませていた頼朝が「そろそろよいか」と問うと、外に控える家子が笑いを押し殺し、「よく濡れております」と答えた。

 常の間を出た頼朝が、寝殿の南面にある五級の階の上に設えられたみちようだいに着くと、取次役のよしかずの「が高い!」という声が轟く。

 能員は頼朝のの比企尼の一族で、おのがいない比企尼の養子となっており、その権勢は、創業以来の側近である北条時政やだちもりながを凌ぐものがあった。

 能員の怒声に驚いたかのように、慌てて二人の男が平伏する。

「名を名乗れ!」

 能員の声に促された太り肉の男が「前内大臣の平宗盛に候」と、くぐもった声で答えると、その横の若い男が、「前右衛門督の平清宗に候」とか細い声で名乗った。

 頼朝は「比企の判官」と能員を傍らに呼ぶと、「顔を上げさせろ」と命じた。

「面を上げい!」

 頼朝は従二位に任官しており、朝敵として無位無官となった宗盛父子とは直接、話をしない。

 宗盛が丸い顔を上げる。その顔には、生殺与奪権を握られた者の不安とおびえが刻まれていた。

 ──これが、かの入道相国の息子にして平家の氏長者か。

 かつて清盛のおんぞうとして蝶よ花よと育てられた宗盛に対し、頼朝はいつかいの流人だった。

 ──それが、今はこの有様か。

 頼朝は人の世の移り変わりのはかなさを思った。

じかに話をしたい。を上げよ」

 頼朝の言葉に応じて、小姓たちが御簾を巻き上げたその時である。

「何卒!」

 突然、宗盛が叫んだ。

「ご容赦賜りますよう、切にお願い申し上げます!」

「静まれ! 御前であるぞ」

 能員が血相を変えるが、宗盛はひるまない。

「それがしは死にとうありませぬ。ここにいるわが息子と共に出家得度し、この地で仏門に精進いたしますゆえ、何卒、命だけはお取り上げにならないで下さい」

 その声には、必死の思いが込められていた。

「わが父入道相国は、かつてしもつけ守殿(義朝)を討った折、格別の計らいにより、その息子である貴殿らの命を助けました。それをお忘れか。今こそ、その恩義に報いるべきではありませんか」

 頼朝は宗盛の言うことなど聞いていなかった。ただ人という生き物は、どうしてこれほど生に執着するのか不思議に思っていた。

「そなたは、そんなに生きたいか」

「今、何と──」

「なぜ、それほどまでして生きたいのだ」

 ようやく頼朝の言わんとしていることが分かったのか、必死の面持ちで宗盛が答える。

「死ぬのが恐ろしいからです」

 周囲にいる御家人たちから笑いが漏れる。

「なぜ、恐ろしいのか」

「死ねばむくろとなるだけ。飯も食えず、笑うこともできず、まごの行く末を楽しみにすることもできません」

 御家人たちの嘲笑が高まる。

「それではなぜ、そなたは院のご意思に背いたのか」

「分かりません。それがしは、父祖から受け継いだものを子に託すべく、その場その場で正しいと思ったことをしたまで」

「それが、院のご意思に反していてもか」

「院は何も仰せになりませんでした」

「無礼者!」と、能員の叱責が飛ぶ。

 宗盛はどうしていいかわからず、おろおろしている。

 ──いかにも、そうだったのであろう。

 相手が平家だろうが源氏だろうが、そこらの下郎だろうが、武力を持つ者の機嫌を取って生き残りを図る。それが後白河院の生き方である。

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修羅の都

伊東 潤
文藝春秋
2018-02-22

コルク

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修羅の都

伊東潤

「武士の世を創る」 歴史上唯一の武家政権をつくった源頼朝と政子。 生涯の願いを叶えるため手を携えて進むふたり。 平家討伐、奥州を制圧、朝廷との駆け引き。 肉親の情を断ち切り、すべてを犠牲にして夫婦が作り上げた 武家政権...もっと読む

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