修羅の都

これで、いよいよ武士のための世が作れるのですね」 怜悧な人ー4

「武士の世を創る」

歴史上唯一の武家政権をつくった源頼朝と政子。 生涯の願いを叶えるため手を携えて進むふたり。 平家討伐、奥州を制圧、朝廷との駆け引き。 肉親の情を断ち切り、すべてを犠牲にして夫婦が作り上げた 武家政権・鎌倉府は、しかしやがて時代の波にさらわれ滅びに向かう。

新聞連載時から大きな反響を呼んだ、鎌倉を舞台にした歴史小説。
1章まるごと、全12回で連載します。

 鎌倉の夏は蒸し暑い。三方を山に囲まれているためか、鎌倉には熱気が籠り、盛夏を過ぎて強い南風が吹くまで、じんわりと汗をかくような日々が続く。

 五月十日、政子は頼朝と共に、建設途中の勝長寿院に出かけた。

 一足先にでき上がった阿弥陀堂でのずきようが終わり、縁に出てみると、外は雨になっていた。

「雨か」と頼朝がつぶやく。

「この季節ですから──」

「こうしたぜいも悪くはない。つり殿どので池に落ちる雨でも眺めるとするか」

「それはよきお考え」

 阿弥陀堂を出た二人はわた殿どのを進み、その南端にある釣殿に至った。近習たちが手早く雨滴を払い、座を整える。

「中島まで煙っておるわ」

 池の中ほどに顔を出す中島の周囲に霧が立ち込め、かすんで見える。

 近習の敷いたしき)の上に、二人は腰を下ろした。

 痩身な上によく風病(風邪)にかかる頼朝だが、本来、文弱なたちではない。乗馬や武芸も人並み以上にこなす。しかし最近は体を鍛える暇がないためか、時折、疲れた顔を見せるようになった。

「このところ、弓を引いておられぬようですね」

「よく知っておるな。弓はもとより、得意の乗馬もやっておらん。やらねばならんのは分かっておるが、その時間が作れぬ」

 頼朝が苦笑いを漏らす。

「いろいろ気苦労が多いゆえ致し方ありませんが、こんなことならいっそ──」

「伊豆で流人暮らしをしていた方がましだったか」

 二人が声を上げて笑う。

 何か厄介なことに直面すると、頼朝は「こんなことなら、伊豆で流人暮らしをしていた方がましだった」と言うのが常である。

 それでも政子の心は浮き立っていた。平家が滅ぶことで、この世にせいひつが訪れたからだ。

 ──これで、すべてがよくなる。

 確かに先帝をはじめとした平家に連なる人々の死は、悲しむべきことだ。だが政子には、これで戦乱がなくなると思うと、その犠牲もやむを得ない気がした。

 ──どうか成仏なさいますように。そして現世の人々をご加護いただけますよう。

 平家が壇ノ浦についえてから、政子は事あるごとに、心中でそう呟くようになっていた。

 雨が釣殿の屋根を叩くようになった。脇から降り込む雨で、釣殿のふちも濡れてきている。

 頼朝が近習の一人に目で合図すると、渡殿に控えていた近習たちは、潮が引くように下がっていった。それを見送った後、政子が問うた。

「これで、いよいよ武士のための世が作れるのですね」

「ああ、かねてよりそなたにも語ってきたように、これまで武士たちは、公家や寺社に糧を取り上げられてきた。だがこれからは違う。己の手で耕したものは己が手にするのだ」

 これまで各地の開発領主たちは、京都の公家や寺社の所領である荘園の管理者にすぎなかった。彼らの大半は農民たちと一緒に土を耕し、収穫を行ってきた。だが収穫の多くは彼らの手に渡らず、無為徒食する公家や寺社に取り上げられてきた。

 頼朝は「なりものは土をこねた者の手に」を旗印に挙兵し、そして勝った。

「佐殿の夢が叶ったのですね」

「いや、まだ道半ばだ」

 頼朝が首を左右に振る。

「都の大天狗は巻き返しに出てくるだろう。その前に厄介事を終わらせねばならん」

「九郎殿のことですね」

「そうだ。わしは九郎を殺すべきか」

 頼朝の心の内を表すかのように、雨足が強くなる。

 政子には何とも答えようがなかった。

 身内を殺すことが鎌倉府のためになるとは思えない。しかも義経は頼朝の弟であり、天才的な用兵をする傑物だという評判もある。

「九郎殿は、あれだけの武功を挙げたのです。あたら殺すこともありますまい」

「いや、それゆえ殺すのだ」

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修羅の都

伊東 潤
文藝春秋
2018-02-22

コルク

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修羅の都

伊東潤

「武士の世を創る」 歴史上唯一の武家政権をつくった源頼朝と政子。 生涯の願いを叶えるため手を携えて進むふたり。 平家討伐、奥州を制圧、朝廷との駆け引き。 肉親の情を断ち切り、すべてを犠牲にして夫婦が作り上げた 武家政権...もっと読む

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