修羅の都

構わぬ。これも九郎を試すためだ」 怜悧な人ー3

「武士の世を創る」

歴史上唯一の武家政権をつくった源頼朝と政子。 生涯の願いを叶えるため手を携えて進むふたり。 平家討伐、奥州を制圧、朝廷との駆け引き。 肉親の情を断ち切り、すべてを犠牲にして夫婦が作り上げた 武家政権・鎌倉府は、しかしやがて時代の波にさらわれ滅びに向かう。

新聞連載時から大きな反響を呼んだ、鎌倉を舞台にした歴史小説。
1章まるごと、全12回で連載します。

 評定から二日後の十四日、院近臣のたかしなのやすつねが鎌倉に下向し、院の祝いの言葉を頼朝に伝えてきた。表向きは、朝廷との良好な関係を維持していると見せたい頼朝としては、つつしんで謝意を表して泰経を歓待した。

 ところが翌十五日、頼朝は祝賀の空気を一変させ、自身の推挙を経ないで任官した関東の御家人二十五人に対して、尾張・美濃両国の境に位置するすのまたがわ以東に戻ることを禁じた。もしも、それを破るようなことがあれば、所領を取り上げて斬罪に処すとも伝えた。

 この中に義経の名はなく、頼朝の代官、すなわち鎌倉幕府の京都出先機関という義経の地位は元のままだった。頼朝は、二十五人の任官御家人に「義経だけは特別扱いなのか」という不満を煽り、離間させようとしたのだ。


 四月二十一日、平家討滅戦で義経軍の奉行(後の軍監)を務めていたかじわらかげときの書状が、頼朝の許に届いた。

 かつて景時は、石橋山の合戦で平家方となったおおかげちかに属し、挙兵したばかりの頼朝軍と戦った。結果は大庭方の大勝利に終わり、頼朝は雨のそぼ降る石橋山を逃げ回ることになる。そんな折、山狩りに参加した景時は、敗れた頼朝が隠れている洞窟を見つけたにもかかわらず、頼朝を見逃がした。頼朝に可能性を感じて二股を掛けたのだ。その後、頼朝は景時を召し出し、挙兵以来の者たちと変わらぬ扱いで報いた。

 景時の書状は、義経に対する怒りで溢れていた。

 義経は鎌倉の指示をないがしろにし、作戦を勝手に進めるため、付き従っている御家人たちは戸惑っており、それをかんげんした自分は、義経との関係が険悪になっているというのだ。

 景時の書状を読みつつ、頼朝は内心、ほっとしていた。

 頼朝としては、義経とそれにずいじんする御家人たちが、共に戦うことで心をいつにし、大勢力を成すことを恐れていたからだ。

 この報告を読む限り、景時は義経を快く思っておらず、御家人の大半も同様と思われた。

 しかも相前後するように範頼からも使者が着き、範頼のかんしようである九州の御家人に対して、義経が勝手に恩賞を下し始めたという苦情を述べた。義経の管掌は四国なので、明白な越権行為である。


 評定の座に着いた頼朝は、厳しい顔つきで景時の書状を読み上げ、範頼の陳情を伝えた。

「という次第だ。九郎の専横は明らかなので、何らかの処罰を考えねばならん」

「お待ちあれ」

はたけやましげただが膝をにじる。畠山氏は武蔵国おぶすま郡畠山を所領とする土豪で、初め平家方として頼朝と戦ったが、後に帰順してからは、義経に匹敵する活躍を見せていた。

 この時、重忠は一ノ谷合戦の際に負傷したこともあり、報告も兼ねて鎌倉に戻っていた。

「九郎殿は謀反を働いたわけではありません。多少、僭越の儀があったとしても、処罰を与えるのはどうかと思われます」

ちようかん二年(一一六四)生まれの重忠は二十二歳。武芸だけでなく人望もあり、頼朝も一目置いていた。

「それはどうですかな」

 重忠の意見を遮ったのは、長老格の大江広元である。

「いかにも此度の平家討滅において、九郎殿の武功には赫々たるものがあります。しかしながら、われらの言い付けを守らず、勝手気ままな振る舞いの数々は到底、容認し得るものではありません」

「それでは申し上げるが、大江殿はいくさばに出たことがおありか」

 広元が言葉に詰まる。

「戦は思惑通りに行くことなどありません。相手があるのはもちろん、その日の天候、風向き、さんの地形など、あらゆる事象が重なり合い、逐次、判断を下していかねばならぬのです。そうした中で勝利を収めるには、臨機応変な戦い方しかありません。なるほど九郎殿は随身する御家人たちの意見を聞かず、己の信じる道を突き進みます。また先帝を入水させ、宝剣をも失いました。しかしながら九郎殿なくして、これほど手際よく平家を討滅できたでしょうか。鎌倉の指示をだくだくと聞いていた六郎殿の有様を見れば、それは明らかではありませんか」

 それだけ言うと、重忠は口をつぐんだ。

「つまり戦とは、指揮する者の我意に任せるべきと申すのだな」

 頼朝の言葉に重忠が首肯する。

「だが、われらにとって大切なのは、戦の勝敗ではない」

 頼朝の言葉に重忠は顔を上げ、居並ぶ者たちも顔を見合わせる。

「最も大切なことは、武家の棟梁であるわが意を汲むことだ」

「仰せの通り」と言いつつ、広元が力強くうなずく。

 頼朝が険しい顔で続ける。

「鎌倉府は発足したばかり。とは言うものの、われらは規律と序列を重んじ、公明正大なまつりごとを行わねばならぬ。それを乱す者は、誰であろうと罰せられる」

 反論しようとする重忠を、「待て」とばかりに頼朝が右手で制する。

「そなたの申すことはよく分かる。わしも挙兵以来、幾度となく戦場を往来した。だが、もはや武功だけで恩賞を下すわけにはまいらぬ。此度は九郎を試すことになる。厳しい処罰にも、九郎が不満を申さずに従えるなら、わしは再び九郎を重用する。しかし──」

 頼朝の眼光が鋭くなる。

「そうでなければ、わしは九郎を追討することになろう」

 頼朝の口から義経追討という言葉が出たことで、座には空気も凍るほどの緊張感が漂った。

「分かりました。それならば、これ以上、申し上げることはありません」

 重忠があっさりと引いた。おそらく重忠は頼朝と義経の間に入り、融和を図るつもりでいたのだ。

 ──しかし今、聡明な重忠は、これが単なる感情のもつれから来る仲違いでないと覚ったのだ。

「それでは、いかがなされますか」

 北条時政が問う。

「まずは義経に鎮西の沙汰を取りやめさせるべく、生け捕った平家の主立つ者たちを連れて都に上らせる」

 頼朝は政子の案を実行するつもりでいた。

「よろしいので」

 時政が、義経と後白河院のさらなる接近を危惧しているのは明らかだ。

「構わぬ。これも九郎を試すためだ」

 頼朝が続ける。

「梶原に返書をしたため、御家人たちに九郎の命を聞かぬよう伝えさせよ」

「はっ」と言って、時政がかしこまる。

「九郎には処罰うんぬんを伝えず、ただ宗盛らを院にお見せした後、鎌倉に連れてくるよう命じるのだ」

「しかし、随身する御家人たちが九郎殿に従わぬと分かれば、鎌倉から何らかの指示が出ていると、九郎殿も察するはず」

「それでよい」

 そう言うと頼朝は重忠を見た。

 重忠は軽く瞑目し、口を開こうとしない。

 ──おそらくやつは九郎に密使を出し、恭順を貫くよう勧めるはずだ。もちろん、そうしてもらわねば困るのだがな。

 頼朝は重忠を使って義経を試し、その真意を探るつもりでいた。

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伊東 潤
文藝春秋
2018-02-22

コルク

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伊東潤

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