修羅の都

となれば、大天狗殿が騒ぐのは明らかですね」 怜悧な人 ー 2

「武士の世を創る」

歴史上唯一の武家政権をつくった源頼朝と政子。 生涯の願いを叶えるため手を携えて進むふたり。 平家討伐、奥州を制圧、朝廷との駆け引き。 肉親の情を断ち切り、すべてを犠牲にして夫婦が作り上げた 武家政権・鎌倉府は、しかしやがて時代の波にさらわれ滅びに向かう。

新聞連載時から大きな反響を呼んだ、鎌倉を舞台にした歴史小説。
1章まるごと、全12回で連載します。

 十一世紀の半ば、頼朝の先祖にあたる源よりよしは、父のよりのぶに従って平ただつねの乱を平定した折、その前任のつい使でありながら、乱を平定できなかったかん平氏嫡流の平なおかたに見込まれて娘婿になった。その時、所領や郎党をも直方から受け継ぎ、直方の鎌倉大蔵館も譲られた。以後、鎌倉に居を定めた頼義は、いわみずはちまんぐうの分社をかんじようし、つるがおか八幡宮を造営した。以来、鎌倉は源氏の本拠となった。

 それから百年以上経った治承四年十月、南関東の豪族や土豪を結集した頼朝は、鎌倉入りを果たすと、まず鶴岡八幡宮を山寄りの地に移し、その東側の大蔵に大規模な居館を建設した。これが大蔵御所である。


 大蔵御所の常の間(執務室)に戻った頼朝は、今後のことを考えていた。

 ──平家のことはこれでよい。次に考えるべきは、一におおてん、二にかんじや、三に入道か。

 大天狗とはしらかわ法皇、小冠者とは弟の義経、出羽入道とは奥州一円を治める藤原のことだ。

 後白河院が政治的駆け引きで頼朝を手玉に取ろうとするのは間違いなく、またかくかくたる武功を挙げた義経が、過大な恩賞を期待するのも目に見えている。それらに気を取られている隙に、奥州藤原氏が南下してくることも考えられる。現に奥州に放っているぞうしきからは、日に日に藤原氏の勢力が拡大しているという情報も入ってきていた。

 頼朝は政治的駆け引きと武力で、これらの勢力を各個撃破していくつもりでいた。

「御免下さりませ」

ふすまの向こうで政子の声がした。

「構わぬ。入れ」

 水色の表着の下にこうちぎを重ねた政子は、太りじしきしませるようにして着座した。

 政子はげん二年(一一五七)の生まれなので、今年で二十九歳になる。だが、その雪のように白い肌も、つややかな黒髪も衰えを知らず、年輪を重ねることで、かえって色香を増したように感じられる。

すけ殿どの、おめでとうございます」

 政子が満面に笑みを浮かべる。

 頼朝は伊豆に流される前の官職が、従五位下・右兵衛権佐だったことから、佐殿と呼ばれていた。だが鎌倉府を開いてからは、武衛様と呼ばれるようになったため、佐殿と今でも呼ぶのは政子くらいになっていた。

「先帝が身罷られたのだ。その言葉は慎め」

「申し訳ありません」

 頼朝は、常に自らの地位に見合った振る舞いを心掛けている。それゆえ政子にも、己の正室にふさわしい振る舞いを求めた。

「だが、それはそれだ」

 頼朝は少しだけ頬を緩めた。

「本音を言ってしまえば、父上の仇である平家が滅び、うれしくないと言えば嘘になる」

 頼朝や義経の父・義朝は、平治の乱で平清盛に敗れ、勢力基盤である東国に落ちようとする途次、味方のだまし討ちに遭って落命した。これにより源氏は再起不能に陥り、平家の天下が定まった。

 当初、清盛は義朝の息子たち、すなわち頼朝や義経たちを殺そうとした。しかし清盛の義母にあたるいけのぜんにに諭され、流罪で済ませた。

 ──わしとわが弟たちの命を奪わなかったことは、入道相国の大きな誤りだった。

 頼朝には、冥府にいる清盛の無念が痛いほど分かる。

「此度のことには満足している。ただ先帝の入水だけが誤算だった」

 政子が悲しげな顔で言う。

「先帝は八歳だったというではありませんか。あまりにお可哀想で──」

「それもこれも九郎のせいだ。あの猪武者め。功を挙げることばかりを考え、その後のことなど頭にない」

「それが武士というもの。過分な期待を抱かぬ方がよいのです」

 あれだけ追い込まれてしまえば、平家とて話し合いに応じないわけがない。先帝の助命と伊勢平氏の形ばかりの存続を条件として示せば、先帝も宝剣も取り戻すことができたのだ。

 ──先帝の命を助けることで、朝廷に対し、われらがどれほど優位な地位に立てたか、九郎には分かるまい。

 そうなればあずまえびすは「朝廷を重んじる忠臣」となり、今後、朝廷に対して様々な手を打つ際、有利に働くはずだった。しかも先帝が長じた時、良好な関係を築けたに違いない。

「この失態は、功名心の強い九郎殿を差し向けた佐殿に非があります」

 政子が、矢を射るように言葉を放つ。

「あの時は、ああするしかなかったのだ」

 確かに猪武者にすぎない義経に、政治的配慮など望むべくもない。だが、もう一人の弟である範頼の主力部隊が、兵糧難からそうして戦うどころではなくなった時、京にいる義経を使う以外に手はなかった。範頼軍が平家に敗れれば、一転して攻守ところを変えるかもしれないからだ。

 その結果、義経は屋島から壇ノ浦の戦いまで連戦連勝を続け、あの強大だった平家を、瞬く間に滅ぼしたのだ。

 武士という職業ができて以来、個人技である武芸を磨き、それで他に秀でる者が優れた武士と言われてきた。しかし義経という男は、唐国の言葉で言う「用兵」に優れ、武士たち個々の力を何倍にもすることができた。

「今、九郎殿は何をなされておいでで」

「地元の漁師たちを雇い、宝剣を探させているという」

「それでは、ないしどころ(神鏡)としんまがたま)は見つけられたのですね」

「ああ。それは幸いだった」

 宝剣、内侍所、神璽から成る三種の神器は、平家が西国に落ちる際、内裏から持ち去られていた。

 壇ノ浦で勝敗が明らかになった時、清盛の正室だった二位尼こと平時子は、先帝と宝剣を抱いて入水し、内侍所と神璽も海に投じられた。

 戦が終わった後、幸いにして内侍所と神璽の二つは見つかったが、宝剣だけは見つからず、義経が頼朝あての書状を書いた時点では、いまだ探しているという。

 先帝を救えず、三種の神器のうちの一つを失うことは、今後、激しくなるはずの後白河院との政治的駆け引きの上で、大きな引け目になる。

 あらためて、義経に対する怒りが込み上げてきた。

「宝剣は見つかるのでしょうか」

 政子が心配げに問う。

「壇ノ浦は海流渦巻く荒瀬だという。いかに水練の達者でも、見つけるのは難しいだろう」

 こうした場合、希望的観測を述べないのが頼朝である。

「となれば、大天狗殿が騒ぐのは明らかですね」

「うむ。だが『探している』として時を稼いでいるうちに、騒ぎは収まる」

 公家の中には鎌倉府に協調的な者もいる。そうした者たちを使えば、宝剣の喪失はうまく糊塗ことできる。後白河院は移り気であり、時が経てば忘れてしまうことも多い。

 ──宝剣はそれで済むが、孫にあたる先帝のことは、それでは済むまい。

 後白河院とて人の子である。孫を殺した源氏を憎まないはずがない。

「明日、評定を開くことになった」

「その場で、どのようなことをお決めになられるのですか」

「九郎を四国に留め置こうと思っている」

 頼朝にとって最も恐れるべきは、義経の名声が高まり、それに従う御家人が増えることだ。

「四国に置いて、どうなされるのですか」

「その地の土豪たちのちんに努めさせる。同じく六郎(範頼)はちん西ぜい(九州)に留め置くよう申し付ける。さすれば、九郎からも不平は出ないであろう」

「それでは、虎を野に放つようなもの」

 ──いかにも九郎は、一人の郎党もいない無力な若者から虎に成長しつつある。

 頼朝は、平家討伐最中の義経の背信的行為を思い出した。

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伊東 潤
文藝春秋
2018-02-22

コルク

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伊東潤

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