修羅の都

そなただけは、欲心や功名心を持ってはならないのだ」 怜悧な人 ー 1

「武士の世を創る」

歴史上唯一の武家政権をつくった源頼朝と政子。 生涯の願いを叶えるため手を携えて進むふたり。 平家討伐、奥州を制圧、朝廷との駆け引き。 肉親の情を断ち切り、すべてを犠牲にして夫婦が作り上げた 武家政権・鎌倉府は、しかしやがて時代の波にさらわれ滅びに向かう。

新聞連載時から大きな反響を呼んだ、鎌倉を舞台にした歴史小説。
1章まるごと、全12回で連載します。

 頼朝は手にした書状をもう一度読み返した。

 その義経からの直筆書状には、何度見直しても「平家討滅」の四文字が躍っている。

 だが喜びはわいてこない。今の頼朝の脳裏を占めるのは、清盛がどこで道を誤ったかだけだった。

 ──入道しようこくは事を急ぎすぎたのだ。

 入道相国こと平清盛は、自らが健在なうちに平家の地位を固めるべく、朝廷の反平家勢力を一掃し、たいしやたいから多くの権益を奪った。しかも都をせつ国の福原に移し、交易によって新たな国を築こうとした。それらのことを、清盛はあまりにも性急にやろうとした。

 ──むろんそこには、気力の衰えや体の変調といった寿命を知らせる何かがあったはずだ。

 今年三十九歳になり、体力に衰えを感じ始めた頼朝にも、その気持ちは分かる。

 ──わしが挙兵したきっかけはもちひとおうりようじにあったが、どう考えても勝てる見込みはなかった。だが、入道相国が事を急いでいると聞き、いちの望みがあると覚った。

 頼朝はその時、あの巨大な平家に挑む決意をした。

 だが、頼朝ほど都の事情に敏感ではない関東の土豪たちは、平家の支配がばんじやくだと思い込んでおり、当初、こぞって頼朝討伐に回った。そのため石橋山合戦では惨敗を喫した。

 ──あの時、わしにあったのは「武士の府を開く」という大義だけだった。

上総かずさ国に逃れた頼朝は、少なくなった配下を四方に走らせ、大義を伝えて味方を増やそうとした。

 最初は耳を傾けることのなかった坂東武士たちだったが、次第に大義に共鳴し、一人二人と、頼朝のばつに参じてきた。それによって反撃態勢を整えた頼朝は、東国を平定すると、弟ののりよりや義経らを上洛の途に就かせた。

 その頃、案に相違せず、清盛は病に苦しみ抜いた末、没していた。

 ──そして今、義経があの平家を西海に沈めたのだ。だが九郎が、これほど鮮やかな手並みで平家をほふるとは思わなかった。

 義経の軍事的才能は、御家人たちの中で傑出していた。

 その理由を頼朝は知っていた。

じようあん四年(一一七四)、十六歳の義経は平家りゆうせいの都を脱出し、奥州に下り、ひらいずみに本拠を置く大豪族・ふじわらのひでひら下に入った。それ以来、挙兵した頼朝の許に駆け付けるまでの六年余、義経は藤原氏の収集したからくにの兵法書を読み尽くし、さらに秀衡のくんとうを受けることで、武略と仁慈にひいでた武将に成長した。

じしよう四年(一一八〇)十月、頼朝は奥州から駆け付けてきた義経と対面を果たす。父は同じよしともだが、腹違いの兄弟だったこともあり、二人はこの時が初対面だった。

 ──あの時、わしは弟の参陣がうれしかった。しかも九郎は、若者らしい覇気に溢れていた。

 頼朝の脳裏に次々と記憶がよみがえる。

 ──あれは、富士川で平家を破った翌日だったな。

 そうした晴れがましい日ということもあり、当初の義経の印象は、決して悪いものではなかった。

 ──しかし今、わしの腹の中は、煮えたぎるほどの怒りと憎悪が渦巻いている。

 初めて会った時に感じたものとは、かけ離れた己の今の感情に、頼朝は驚きを覚える。

 ──九郎には欲心があった。

 義経の顔に欲心や功名心が垣間見られる度に、頼朝の嫌悪の情は募っていった。人として欲を持つことは当然である。現に頼朝の配下となった者たちは、常に欲で目をギラギラさせている。

 ──だが、わが弟であるそなただけは、欲心や功名心を持ってはならないのだ。


げんりやく二年(一一八五)四月十一日、亡父義朝のだいとむらうためにこんりゆうするしようちよ寿うじゆいんむねげ式が行われている最中、西国から義経の使者が着いた。

 式の途中でその報告を耳打ちされた頼朝だったが、何事もなかったかのように式を終えてから、待たせていた使者から「お味方大勝利」の口上を聞き、義経からの書状を受け取った。

「皆を集めろ」

 義経の書状に目を通した頼朝は、主立つ者たちを勝長寿院の仮本堂へと集めた。

 幕府の文士(文官)や平家討滅戦に参加していない御家人たちを前に、頼朝は義経の書状の内容を伝えた。

「三月二十四日、長門なが と国はあかまがせきだんうらにおいて、わが方は平家と合戦に及び、これを破った。だが──」

 歓喜の声を上げようとする者たちを制するかのように、頼朝は一拍置くと言った。

「先帝(あんとく天皇)は海に没した」

 その言葉の重みを理解するや、一同からどよめきが起こり、続いて経を唱える声が聞こえてきた。

 平家に連れられて西国に落ちていった八歳の安徳帝が、平家の滅亡と共にじゆすいしたというのだ。

 ──それにしても何という失態だ。

 頼朝にとって合戦の勝利よりも、先帝を保護することの方が大切だった。義経には「平家討滅よりも、先帝の保護を優先すべし」と伝えていた。しかし義経は頼朝の深慮遠謀に配慮することなく、ただ己の功名心のみに突き動かされていた。

 ──そこが、わしとそなたの違いなのだ。

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伊東 潤
文藝春秋
2018-02-22

コルク

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伊東潤

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