一九六九年七月二〇日ヒューストン時間12:18
世界の二億人の目が、テレビを通して、史上初の月着陸を目指すアポロ11号の三人の宇宙飛行士に注がれていた。
「それじゃあ猫ちゃんたち、月面で気楽にな。もしハーハーゼーゼーしてたら馬鹿にしてやるぜ。」
そう言って司令船に残るマイケル・コリンズがボタンを押すと、ニール・アームストロングとバズ・オルドリンを乗せた月着陸船が司令船から切り離された。三人のうち月を歩くのはアームストロングとオルドリンの二人だけ。その間、コリンズの司令船は月面からわずか100㎞の距離を周回しながら待つ。月を手で触れるほどに間近に見ながら歩かせてもらえない。彼に与えられた役割は「留守番」だった。
その頃、ヒューストンのNASA有人宇宙飛行センターのVIPルームでは、本章の主役の一人であるジョン・ハウボルトが宇宙飛行士の会話を固唾をのんで聴いていた。ハウボルトの前の席にはNASAマーシャル飛行センターの長官に出世していたフォン・ブラウンが座っていた。たる顔ぶれが揃うVIPルームの中で、ハウボルトは明らかに場違いだった。彼にはとてもVIPと言えるような肩書きはなく、部屋の人たちのほとんどは彼を知らなかった。
なぜこんな無名の技術者がVIPルームに招かれたのだろうか?
この男がある常識を覆したからだった。「月への行き方」についての常識だった。
次ページの図を見て欲しい。これは一九六一年の時点でのアポロ宇宙船の構想図である。P.73にある実際のものとは大きく異なっていることにお気づきだろう。何といっても巨大だ。高さ27メートルもある。しかも司令船を乗せたまま月に着陸している。
1961 年に描かれたアポロ宇宙船の想像図。
直接上昇モードを前提としているため、巨⼤な宇宙船になっている。(Credit: NASA)
これは当時想定されていた「月への行き方」が異なったからだ。こんな方法が想定されていた。図2上に描いたように、三人の宇宙飛行士を乗せた宇宙船は地球を飛び立ったあと、直接月に着陸する。誰も月軌道で「留守番」はしない。三人仲良く月面を歩く。そして宇宙船は月を離陸し、直接地球に帰還する。
この方法は「直接上昇モード」と呼ばれた。月面から離陸するための燃料だけではなく、地球に帰還するための燃料も月面に一度着陸させなくてはならない。だから宇宙船は巨大になる。それを打ち上げるロケットはさらに巨大になる。そのために「ノバ」という、実際のアポロの打ち上げに使われたサターンVよりさらに2.5倍も大きいモンスター級ロケットが構想された。
アポロ宇宙船の設計の中心的立場にいたのは、NASAラングレー研究所のマックス・フェジットという技術者だった。フェジットは三十代でアメリカ初の有人宇宙船であるマーキュリーの設計を主導し名を上げていた。芸術家肌で、気むずかしく、他人の仕事に満足しないと臆面もなく罵倒した。身長は165㎝とアメリカ人の中ではだいぶ小さかったが、態度と口は誰よりも大きかった。フェジットは自分の正しさに絶対的な自信を持っていた。事実、ほとんどの場合においてフェジットの直感は正しかった。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。