どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう
寺山修司『ロング・グッドバイ』より
アポロはどうして月に行けたのだろうか?
考えてほしい。アポロ11号が月着陸を果たした一九六九年といえば、ケータイもデジカメもカーナビもなく、電子レンジやエアコンすらほとんど普及していなかった。人々はレコード盤でビートルズを聴き、カラーテレビを持っているお金持ちの家にクラスメイト全員が集まってウルトラマンや長嶋茂雄を見ていた。飛行機は東京からニューヨークまで直行できずアラスカで給油する必要があり、コンピューターは一般人には縁遠く、電卓すら数十万円するデカブツだった。「捏造説」を信じる人がいるのも、無理はないかもしれない。なぜそんな時代に、人類は月へ行くという大事業を成し遂げることができたのだろうか?
宇宙飛行士の活躍によるものだろうか? たしかに、勇敢で頭の切れる宇宙飛行士のとっさの判断がミッションを救ったことは度々あった。だがもちろん、宇宙飛行士だけの力で月に行ったわけではない。
政治的要因によるものだろうか? たしかに、冷戦やケネディー大統領のカリスマ性がなければアポロ計画は始まらなかっただろう。とはいえ、政治家が予算を付けたりマイクに向かって喋るだけで魔法のように宇宙船やロケットが現れるわけでもない。
アポロには四十万人もの人が携わっていた。技術者や科学者だけではなく、縁の下で支える事務員、建設作業員、運転手なども大勢いた。四十万人が誇りと責任を持って、人類を月に送るという一つの目標に向かい働いていた。
こんな逸話がある。一九六二年、ケネディー大統領がNASAを視察に訪れた時、廊下にホウキを持った清掃員がいた。ケネディーは視察を中断して話しかけた。
「あなたは何の仕事をしているのですか?」
彼は胸を張って誇らしげに答えた。
「大統領、私は人類を月に送るのを手伝っています!」
なぜアポロが月に行けたのか? その鍵は、政治家の名演説よりもむしろ、現場の技術者の創造性の中にあるのではなかろうか? 月を歩いた十二人の宇宙飛行士の華やかな活躍よりもむしろ、無名の四十万人の泥臭い努力の中にあるのではなかろうか?
だから本章では、アポロを底辺から支えた技術者たちを主役に据えてアポロ計画を描いてみようと思う。テレビで語られる宇宙飛行士の英雄伝だけではなく、彼ら彼女らが酒の席で友人に愚痴ったような苦労談を書いてみようと思う。トップダウンではなくボトムアップの視点から、「なぜアポロは月へ行くことができたのか?」という問いへの答えを探ってみようと思う。
本章の⼆⼈の主役。左:マーガレット・ハミルトン、
右:ジョン・ハウボルト(Credit: NASA)
たとえば、ジョン・ハウボルトというNASAラングレー研究所の技術者がいた。つり上がった眉、ギョロッとした目、下がった口角。頑固を絵に描いたような顔だった。無名の彼はある「常識」に対してNASA上層部に異論を唱え、別の斬新なアイデアを頑固に主張した。身の程をわきまえない行為だと批判された。だが結果的に、そのアイデアなくしては「一九六〇年代が終わるまでに人類を月へ送る」というケネディーが掲げた目標は達成不可能だった。
またたとえば、マーガレット・ハミルトンというMITの若き女性プログラマーがいた。丸メガネと肩の下まで伸ばしたくせ毛が、温和そうな顔をより一層穏やかに見せていた。彼女は「ソフトウェア」という言葉すらなかった時代に、ある革新的なソフトウェアを開発した。それはアポロ11号を着陸直前の危機から救うことになった。
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