●積極的自由は、他者がいないと獲得できない
残念ながら、多くの人にとって「セックスへの自由」は容易に獲得できるものではありません。「自分がしたい時に・したい相手とセックスをすることができていますか?」と聞かれて、自信を持って「はい」と答えられる人は、性別や世代を問わず、かなりの少数派でしょう。
なぜ「セックスへの自由」を獲得することが難しいのか。答えは簡単です。「セックスからの自由」=消極的自由は一人でも獲得することができますが、「セックスへの自由」=積極的自由は他者がいないと獲得できないからです。
つまり、孤独から脱出しないと「セックスへの自由」は獲得できない。しかし、あらゆるものに「無意味」のレッテルを貼って楽になろうとする習慣を身につけてしまった男子にとって、孤独から脱出することは困難です。
実際に、恋愛やセックスに意味があるかどうかは私にも分かりません。しかし、一つだけ分かっていることがあります。それは、あらゆるものに「無意味」のレッテルを貼って楽になろうとしても、決して楽にはなれない、ということです。
仮にそうした方法によって楽になろうとしても、「はじめに」で描いた18歳当時の私のように、「無意味というレッテルを貼って楽になろうとしている自分自身が一番無意味」という結論に達し、自己嫌悪と鬱のスパイラルに巻き込まれてしまいます。そこからますます孤独の深みに陥り、最終的には「社会的な死」の誘惑に魂を奪われてしまう。
恋愛やセックスに「無意味」のレッテルを貼らずにはいられない状態、その結果として誰とも人間関係を築けずに孤独に陥ってしまっている状態は、言うなれば「無意味の壁」にぶつかっている状態です。あなたのように「無意味の壁」を突破できずに苦しんでいる18歳前後の男子は、世の中に星の数ほどいるはずです。
●「無意味の壁」の向こう側へ
それでは、こうした「無意味の壁」を突破するためには、どうすればいいのでしょうか?