第一回】燕湯と御徒町食堂(前編)

TVドラマ「孤独のグルメ」でお馴染み、原作者の久住昌之さんの連載がスタートします! 「銭湯帰りの昼酒」「仕事さぼって温泉」と大人の秘めたる贅沢を提案してきた久住さんが次に題材にしたのは、“朝湯酒”。言葉の通り、朝からお風呂に入って一杯飲ってこようという企画です。そもそもなんで“朝”から風呂×酒!? まずは、その理由から聞いてみようじゃないですか。

 温泉旅行に行って、何が楽しいかって、朝湯だ。
 朝湯に勝る気持ちよさはない。
 いつも寝坊のボクが、旅先ではどんなに遅く寝ても、朝六時半には目覚ましをかけて、起きる。なぜか目覚ましが鳴る前に、目が覚めるんだけどね。
 眠いことは眠い。前夜飲み過ぎた酒が残っていたりもする。
 でも起きる。ガバッと起きる。
 浴衣が寝乱れてしわくちゃで、前がはだけて、ヘソやパンツが見えてたりする。そこに腰紐だけが一本渡っている。それだけはテキトーに直す。
 そして、タオル掛けに干しておいたタオル一本ひったくって、廊下に出る。

 湯に向かう。露天風呂があれば最高だけど、なくてもいい。
 浴衣はすぐ脱げるのがいい。さっと脱いでパンツも脱いで、浴場に入る。
 たっぷりかけ湯をして、肌を湯に慣らし、足からゆっくりと湯につかる。
 湯の中で、足を伸ばす。手も伸ばす。
 うわー。
 もうもうと湯気が立ちのぼっている。その湯気を眺める。
 眠気も酒も、湯気と一緒に消えていくようだ。
 ボーッとする。
 ボーッとしているけど、からだがどんどん目覚めていく。頭もだんだん目覚めていく。
 そして、気持ちがいい、という感覚がハッキリとしてくる。
 自分の中が、気持ちがいいという感情だけに、満たされていく。
 湯を手のひらにすくって、顔にあてる。温泉だ。たしかに温泉だ。そのことが再びうれしい。
 風呂で誰か知らない客がいたら「おはようございます」と自分から言えるようになった。場合によっては、出るとき「お先に失礼します」とも言える。大人になるのに、生まれてから五十年ぐらいかかった。

 湯から上がったら、からだをよく拭いて、浴衣を今度はきちんと着て、スリッパをペタペタ鳴らして部屋に戻る。
 スリッパという履物は大嫌いだが、旅館の風呂帰りだけは悪くない。気持ちよくてちょっとダメになってる自分の歩き方に、スリッパ、合ってる。
 部屋に戻ったら、敷いてある布団の上に、ドタッと倒れこむ。
 こういう時は、どうしたってベッドより断然布団だ。
 そのままの姿勢で休んでいると七時になる。朝食は七時にお願いしてある。
 その部屋で食べるにしても、食堂や大広間で食べるにしても、仲居さんに、布団は上げないでくれとお願いする。

 風呂に入ってからの食事は、ものすごくおいしい。
 起きたばかりだと、内蔵がまだお目覚めでないようで、朝食も進まない。
 朝風呂に入ると、すっかり五臓六腑が目を覚ましている。きれいにお腹が空いている。
 ご飯の前には茶を飲む。朝の茶はおいしい。一日で一番おいしい。
 風呂に入らなくてもおいしいけれど、風呂のあとはまたおいしい。
 梅干しがあったら、一個食べる。茶と一緒に食べる。朝の梅干しはうまい。
 そして、おもむろに朝食に入る。いただきます。
 まず、味噌汁が美味しい。
 味噌の成分がからだにいい、というのが実感としてわかる。前夜の酒が多少残っているのかもしれない。それで、味噌汁がウマい。ならば、朝の味噌汁をおいしく飲むには、前の晩にちゃんと酒を飲まないとダメだな。という酒飲みの屁理屈をこねてみたりする。
 味噌汁のミは豆腐とネギで文句はない。シジミやナメコでなくてもよい。
 なんといっても白いご飯がおいしい。
 鯵の開きがおいしい。
 焼き海苔に醤油で、ご飯を巻いて食べるのがうまい。どうしてこんなものが、こんなにおいしいんだろう。
 お新香がイマイチであっても怒らない。
 シンプルな旅館の朝食が一番好きだ。卓上を御馳走でいっぱいにするような夕食は、むしろ敵だ。いらないオカズは積極的に残すようにしている。山の旅館で出る伊勢エビのグラタンなんてのは、敵の筆頭だ。箸もつけない。もったいないとは思わない。出すほうが悪い。
 おいしい旅館の朝食はご飯を必ずおかわりするが(普段はしない)、それでもあっという間に終わってしまう。十分とかからない。席を立つとき、いつも日本人て、せせこましい、ビンボ臭いと思う。でも食べ終わった膳の前にいつまでもいたくない。

 朝食後、帰ってきて、布団が上げられていたりすると、頭にくる。
 余計なことしやがって!
 プンプンしながら押し入れを開けて、敷き布団を引きずり出す。新しいシーツも出しちゃう。俺に無駄なことさせないでよ。 
 でも、プンプンしながらも俺はうれしくてたまらない。
 もう一度寝るからだ。朝湯のあとの朝食のあとの、寝。この二度寝が好き。本当は朝の温泉より、旅館の朝ご飯より、好き。
 朝湯に勝る気持ちよさはない、と最初に書いたけど、ごめん、あれはウソでした。最初っから二度寝というと、読んでもらえなくなると思ったから。
 この二度寝の、眠りに落ちていくとき、最高ですね。絶頂。しあわせの絶頂。まさに、イッてしまう心地。
 この瞬間のために旅行に出てきた。といっても言い過ぎではない。その絶頂の前戯の皮切りが、朝風呂というわけだ。

 と、前置きが長くなったのを許して欲しい。
 いや、許さなくてもいい。
 ふと思ったのだ。
 別に遠方に旅と言わずとも、朝風呂に行ったっていいんじゃないかと。
 自宅の狭いプラスティック風呂にちょこっと湯をためて、チョポンと入るんじゃなくて、ちょっと出かけてって、天井の高いでっかい風呂に、朝からザブンと入るのもいいんじゃないか。いや、いいに違いない。
 そういえば、都内で朝から入れる銭湯があったはずだ。ものの本で読んだ。
 客はじいさんばあさん中心だったと思うが、俺が入ったっていいじゃないか。だいぶじいさんに近付いているし、変な目で見る人もいないだろう。
 旅館ではその気持ちよさのために、早起きしているじゃないか。
 で、せっかく出かけてって、いい湯につかったら、ちょっといいことしてこようじゃないか。え? ちょっと、一杯。あるだろう。東京だ。朝から飲めるところ。朝食がてら。なに、朝の酒だ。そんなに本格的に飲もうってんじゃない。ちょっと。軽く。
 朝寝朝酒朝湯が大好きで、の小原庄助さんをやろうってんじゃない。
 かるい朝湯酒。
 早起きは三文の得ともいう。きっと、夜中のダラダラ酒と違う味がする。

 思い出した。
 弟が、前に都内の銭湯のオリジナル手拭いを作る連載を、なにかのPR誌でやっていた。弟・久住卓也は、手拭い作家でもある。たしか、朝風呂をやってる銭湯の手拭い、作ったぞ。
 燕湯。たしか燕湯だ。
 ネットで検索したら、出てきた。
 しかも一番最初に「朝湯 銭湯燕湯」と出た。朝湯で有名らしい。

 燕湯は、JR山手線の御徒町の近くにあった。一回の乗り換えで行ける。
 月曜定休でなんと毎日朝六時から営業。中休みなく夜八時までやっている。
 第一回は燕湯で決まりだ。
 でも最初から力むと、続かなくなる気がするから、第一回は朝十時でどうだろう。無理せず。十時なら、たいていの飲食店は午前十一時には開店するから、店に困ることもないだろう。
 よし、すぐ行こう。明日行こう。

昼のセント酒 昼のセント酒
久住昌之,和泉晴紀

カンゼン
売り上げランキング : 26394

Amazonで詳しく見る
ちゃっかり温泉 ちゃっかり温泉
久住 昌之,和泉 晴紀

カンゼン
売り上げランキング : 61259

Amazonで詳しく見る

ケイクス

この連載について

ふらっと朝湯酒

久住昌之

三度TVドラマとなることが決定した「孤独のグルメ」の原作者久住昌之が、新たに提案するのが“ふらっと朝湯酒”。その名の通り、朝からお風呂入って一杯飲るという試みを、やってみようというエッセイである。朝から飲むからって、♪朝寝朝酒朝湯が大...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

moe_twikkey 結構前の記事だけど行きたくなったので - ふらっと朝湯酒 2年以上前 replyretweetfavorite

Oden_Den 朝湯酒って言葉に魅かれたわ! https://t.co/wau4nZmwxs 3年弱前 replyretweetfavorite

knilb281 朝湯の記事が好き 3年以上前 replyretweetfavorite

KANZEN_pub TVドラマ「孤独のグルメ」でスルーされた“まるます家”。なんと来月の久住昌之氏のweb連載「 #孤独のグルメ 5年以上前 replyretweetfavorite