まっつん宛に届く宅配便の数が増え始めたのは七月の頭からのことだった。聞くと「副業を始めた」という答えが返って来た。"信頼できる人々と”サイドビジネスを始めたらしい。
「すごく素敵なビジネスなんだよ」とまっつんは熱っぽく語った。「儲かれば儲かるほど、自分も周りも幸せになるんだ。僕はこの仕事で、真の成功者になって世界を変えるんだ」
昼間、彼が家にいない間に郵便物を受け取るのは他の住人の役割だったから、蝶子や僕はぶぅぶぅ文句を言いながら、その大量の荷物を受け取った。どの箱もどの箱もどの箱も、目に焼きつくように真っ赤で、見ているだけでイライラと網膜が苛まれた。
夜遅くに帰宅したまっつんは、玄関をあけた途端に靴を脱ぎ捨て、息せき切ってリビングに駆け込み、届いた段ボール箱をかき集めるとまた息急き切って部屋に飛び込みドアをばたんと閉めた。そうして、毎夜毎夜、遅くまで誰かと何かを話し合う電話の声が、部屋の中から聞こえてきた。時に相手を激励し、時に涙ぐみ、途切れることなくうなずき続ける。まるで自分自身をコントロールできないといったように、熱っぽく潤んで、しかし、どこかから送られてきた信号をそのまま口から吐き出しているような、単調な声だった。
まっつんが買う荷物は次第に彼の部屋から溢れ、そのうち、未開封の段ボール箱が部屋に入りきらずに廊下に溢れた。見る見るうちにまっつんの部屋の前の廊下は真っ赤な段ボール箱でうめつくされた。まっつんはそれでも商品を買い続けた。
「ちょっと、なんかめっちゃ台所に鍋増えてんですけど」 「刻の湯のシャンプーもさ、全部、違うやつになってる」 住人たちも、薄々彼の変化を怪しみ始めた。
「いい暮らしがホンモノを作るんだよ」とまっつんは熱っぽく語った。「ぼくたちの人生は食べるもの、見るもの、会う人間、口に出す言葉で作られている。上質なものに触れ続けた人間がホンモノになれるんだ。少しお金はかかるけど、それこそが『成幸』するための最短ルートなんだ」
「やばいよな、あれ」龍くんは頭をかいた。「なんとか言える雰囲気じゃないよ。本人のほとぼりが冷めるのを待つしかない」
彼はそのうち、一切リビングに出て来なくなった。まっつんの部屋の周りに積み上がった真っ赤なダンボール箱たちは、まるでバリケードのように彼の部屋を外の世界から隔離していた。その真っ赤な色は彼の代わりにこう叫んでいるみたいだった——「僕はお前たちとは違うんだ」って。
僕はゴスピに相談したが、予想通りというか、彼はさも興味がなさそうに「ああ」と言った。
「べつにいいんじゃないの。マツダさんが自分で選んで買ってる訳でしょ」 「でも、あきらかにおかしいだろ。まっつん、いつも給料低いって嘆いてたのに。尋常じゃないよ。ぜったい給料以上の額使ってるだろ、あれ」
ゴスピは前髪に息をふっと吹きかけると、うんざりした顔でこちらを見た。 「マコさんさぁ、他人のことに首突っ込むのやめなよ」いつも以上に鋭い彼の声に、僕はたじろぐ。 「一緒に暮らしてるからって、相手のプライベートに口出す権利ないでしょ。そういうの、相手の選択肢を奪ってるって思わないの」
僕は黙った。「もし、マツダさんがハマってるのが宗教だったら?悪い女に捕まって貢がされてるんだったら、どう?口を出すことが、自由を奪ってることになると思わない?」
「うーん……」
「いいじゃん、好きにさせてあげれば。 人の信じるものに、いちいちけちをつけるなんてやぼだよ。みんな、自分が信じているものが悪いものだなんて思いもしない。そうしないと生きていけないからね、とりわけ、まっつんさんみたいなタイプは」
ゴスピはふと、考えるような顔をして付け加えた。
「それにさ、マツダさんはさ、なんだかんだ言って、ぼくたちには商品を売りつけてこないじゃん。それってさ、自分でもヤバいって、薄々は気づいてるってことじゃないの」
ある日の夕方、僕はまっつんの部屋の前にいた。廊下の窓から差し込んだ西陽が、床にストライプ模様を描いている。辺りには誰もいない。他の住人の部屋に無断で入るのはこれが初めてだ。誰もいないと分かっているにも関わらず、ぼくは心臓をばくばくさせながら彼の部屋のドアノブをそうっと回し、中を覗き込んだ。