一八九九年、八月下旬。長崎で路銀を稼いだハーンは、遠野へと向かう旅の途中、京都に滞在していた。彼が贔屓にしている宿はいくつかあるが、どれも大通りからは一本外れた、裏通りの運河沿いにある。
その一つがこの吉田屋であった。芸者遊びやスキヤキといった華々しさとは無縁だが、旬の料理を提供し、出自にかかわらず全ての客を客として平等に扱う……そのような気概と礼節を併せ持つ、昔気質の宿である。宿の軒先には「幽霊十両」「妖怪五十両」と書かれたハーンの幟が立て掛けられ、妖怪猟兵の滞在を告げていた。
「しかしまあ、幟もえらい減ってしもうたもんや。寂しい寂しい」
老店主は鰻を焼く七輪を団扇で扇ぎながら、その旗の侘しげに揺らめくのを見て、世の儚さと時代の流れを思った。かつては妖怪猟団の十数本の旗が吉田屋の前に並び、勇壮にはためいたものだが、今ではボロボロに吹き曝されたハーンの幟のみである。
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