今回のテーマは「軽いやきもちは嬉しいが、束縛されるのは嫌」だ。
やきもち、および束縛ほど、自分の感覚を正解だと思っていいものはない。一般論的に言えば「束縛しすぎはよくない。パートナーと言えど個々の人間である。自由とプライバシーを与えるべきだ」となるかもしれないが、それも結局「※個人の意見です」という炎上を全力で回避したい時につける注釈とたいして変わらぬのである。
結局、コーヒーに砂糖を何個入れるか、寿司にわさびを入れるか、みたいな話なのである。砂糖は入れない。少しでも入っていると飲めないという人がいるように、少しでも束縛されると窮屈に感じて付き合えない、という人もいる。逆に、メチャクチャ砂糖を入れないと飲めないという人もいる。パートナーに束縛されないと逆に不安、むしろ束縛されることにより愛を感じて幸せという人もいるのだ。
その姿は、砂糖を入れない人から見れば異常かもしれない。しかし、そいつにとっては、表面からもはや砂糖が見えてしまってるコーヒー、シャリよりサビがでけえ、というような寿司が「通常」であり「うめえ」のだ。
食い物だったら、健康上の理由で制止もやむなしかもしれないが、束縛に関しては、物理的にいつも首に結束バンドば巻かれているし、会うたびにちょっと締めがきつくなっているという場合以外は止めても仕方がないし、それすらも「プレイです」と言われたら何も言えない。
束縛されたくない人から束縛されている人を見ると「よくあんな相手と付き合える、早く別れるべき」と思うかもしれないが、それは「きゅうりとかあんな不味いもの食べるとかマジありえん、あれは尻に入れるものだろう、異論は認めない」と、自分が理解できないものをディスっている過激派オタと大差ない場合があるので注意が必要である。
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