超絶技巧によって生じた一瞬の空隙

「受注数世界一の、殺しの会社を創りたいんです」
女子大生、桐生七海は本気だった。「営業」ができない、「広告」も打てない、「PR」なんてもってのほか、世界一売りづらい「殺し」をどう売るか――、そんな無理難題を「最強のマーケティング技巧」を持つ西城に弟子入りすることで解決しようとする七海。今話題の書店経営者が初めて書く新しいマーケティング&エンタメ小説、第10回。

降ろされた緞帳が、再び上げられると、ステージは最初のときのように暗闇に包まれていた。

闇の中央手前に、山村詩織が座っているのが、かすかに見えた。 その背後の影に大勢の気配があって、会場はどよめいた。

「まさか……」

藤野楓はつぶやくように言い、一瞬だけ、七海のほうに目を向ける。 七海は笑顔で頷く。

おそらく、藤野だけでなく、会場の多くの人が気づいたように、山村詩織の背後には、ステージ上一杯に、オーケストラが控えているのだ。

その隠し切れない存在感の中心に、山村詩織がいた。

山村詩織の背後で、指揮者のタクトが振られる気配がする。すると、未だ闇の中にあるステージ全体から、かすかに、ほんのかすかに、弦の音が鳴らされる。バイオリンを中心とした楽器が、まるで山村詩織を包み込むかのように、優しい音色を奏でる。

何重奏にもなって、全体が、一体となって旋律を徐々に大きく奏でようとしたそのとき、低音のチェロの音が前に出るかのように響き始め、背後の音が静かに消える。

突如トップライトが灯され、チェロを弾く、真紅のドレスの山村詩織が暗闇の中からステー ジ上に、一人、ふっと姿を現す。

美しい、と七海はただ素直に美しいと思った。そして、弦から放たれる音と、光が当てられ 煌めきながら演奏する姿に、戦慄にも似た強い感動を覚えた。

何かに耐えるかのように、その美しい眉間には皺が刻まれ、チェロの低音部を響かせながら、 リズムを整えながら、ステージ上のオーケストラを密かに先導し始めるようだった。

山村詩織のチェロが、低音部から一気に高音部の演奏に移ったとき、ふっと、その表情に明 かりが灯されるように、笑顔が浮かんだ。

山村はその曲の主旋律を、いつになく楽しそうに奏でた。

何かから解放されたような、あるいは諦観したような、そんな表情に七海には見えた。

そう感じたのは七海だけではなかったらしい。

「詩織……」

隣で藤野がつぶやくのがかすかに聞こえた。

痛みに耐えるように弾くその姿が、山村詩織の演奏スタイルで、世に広く受け入れられている理由だったが、今日の山村詩織は別人だった。

この演奏を心から楽しんでいるようだった。

そのとき、藤野のハンドバッグが振動するのが、七海にもわかった。

こんなときに、と藤野の横顔は如実に言っていた。七海と目を合わせると、自分の運命を呪うかのように哀しげに眉根を上げて、席を立った。
おそらく、急患だ。 この状況で連絡が入るということは、藤野が行かなければ命に関わるレベルだということだ。

会場の誰よりも艶やかな青のドレスが立ち上がる。薄暗い客席に、その鮮やかな青のドレスが映える。何より、そのドレスから露わになった白い肌に、藤野の美しさに、彼女が後方へと過ぎゆく際に観客の目が一瞬、吸い寄せられる。

ステージ上の山村詩織の真紅のドレスと藤野の青のドレスが、あたかも対を成すように見えた。

演奏中の山村詩織も、藤野に気づいたようだった。
名残惜しそうにステージを振り返って見上げる藤野の横顔が、ステージからの光に照らされて、七海の目にはなお一層艶やかに見えた。

山村は、藤野に対して、笑顔のままに、一つ頷いたように見えた。
急患だと、山村にもわかったのだろう。行って、とその目は言っていた。

藤野は頷いて、ドレスの裾を持ち、翻って後方の出口へと向かっていった。

その瞬間、七海の全身に戦慄が走った。

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殺し屋のマーケティング

三浦崇典

「受注数世界一の、殺しの会社を創りたいんです」 女子大生、桐生七海は本気だった。「営業」ができない、「広告」も打てない、「PR」なんてもってのほか、世界一売りづらい「殺し」をどう売るか――、そんな無理難題を「最強...もっと読む

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