メゾン刻の湯

授業参観で発覚した、学級崩壊の実態

体調を崩した戸塚さんの代役として、リョータの授業参観に訪れたマヒコ。だがそこで目にしたのは、親に見捨てられた境遇を貶され、嗤われ、「可哀想な存在」に仕立て上げられていくリョータの姿だった――。社会からハミ出たくせものたちの集まる銭湯シェアハウスが舞台の傑作青春小説、第20話です!

どざあ、と滝のように降り注ぐ雨音が、玄関のガラス戸の向こうから押し寄せてくる。

「すみませんねぇ、マコさん」

 ごほりと大きくひとつ咳をして、戸塚さんは言った。玄関で靴を履く僕を見下ろしている。僕はこれから、リョータの授業参観に行くのだ。

 6月に入り、リョータの授業参観のお知らせが学校から届いた。届いた、と言ったが、実際には窯場のゴミ箱の底に新聞紙やチラシと一緒に丸めて捨てられていた。アキラさんが掃除の時にそれを見つけ、戸塚さんに手渡したのだ。普段は周囲に関心のないようでいて、彼はこういう時に限っては恐るべき勘で重要なものを見つけ出す。

 戸塚さんはそのプリントを読み上げ、ややあってから嬉しそうな声をあげた。

「やあ、リョータさん、家族1名参加とありますが、私は行っていいのですか?」

 その時のリョータの表情と言ったら、まるで東南アジアのジャングルの奥に祀られている石像みたいだった。口を真一文字に結び、うんともすんとも言わない。戸塚さんのきらきらした眼差しに押され、ずいぶん後になってからわずかに頷いたものの、来て欲しくないのは明白だった。

 戸塚さんは「楽しみですねえ」と言いながら、上機嫌でカレンダーの日付にマルをつけた。

 ところがだ。当日の朝、突然戸塚さんは体調を崩した。リョータはすでに朝早く出かけている。

 戸塚さんはすまなそうに言った。

「マコさん、すみませんが、私の代わりに行って来てくださいませんか」

 時計はすでに授業参観の始まる時刻を指している。その日は遅番で、特に用事もない僕には断る理由もなかった。僕でいいのか、と一瞬思ったが、戸塚さんは「若いお父さんみたいで、いいじゃないですか」といつもの調子で言う。いくらなんでも若すぎだろう。だが、誰も行かないよりはマシだ。僕は慣れない小学校までの道のりを、地図の入ったファイルを片手にキョロキョロしながら歩いた。

 小学校は今風のデザインの堅牢なビルディングだった。僕が通っていた郊外の小学校より、はるかに現代的で新しい。しかしそれがかえって、この中で行われていることはお前には他人事だ、と言われている気がした。長い長い、消毒液のにおいのする緑色の廊下を、僕はすぐ脱げそうになる薄べったいビニールのスリッパを何度もなんども履き直しながらそろりそろりと歩いた。

 授業開始から5分遅れて、僕は4年5組の教室に辿り着いた。できるだけ目立たないように、そろりと後方のドアから身を滑り込ませる。角に立っていた生徒の母親にジロリと睨まれた。スウェットパーカーにジーンズ、というみすぼらしい格好の僕は、デコレーションケーキみたいに色とりどりに着飾った保護者たちの間でひどく浮いていた。どう見ても父親という柄じゃない。出がけにリクルートスーツを着るべきか迷ったが、どうしても、あれの袖に再び手を通す気にはなれなかった。

 教室では国語の授業が行われているらしかった。一人の子供が立ち上がり、作文を読み上げている。黒板にはでっかく「僕のお父さん、お母さん」と書かれていた。どうやら事前に書いてきた作文を、この日、実際に父母の前で読み上げるって筋書きらしい。作文が読み終わるごとに拍手が巻き起こった。父母たちは、自分の子供が作文を読み上げるのを今か今かと待ち構えている。リョータはどこだ。僕は目だけを動かして無数の頭の中から彼を探した。子供たちはみな前を向き、型通りに授業を受けてはいるものの、よく見ると並べられた机のラインはがたがたで、隣の机と角をぶつけたり、重なり合ったりと「キューキョ、教室の形をとりました」ってな具合に雑然として見えた。机と机の間にも、よく見れば丸めたゴミや筆記用具が落ちている。

 不穏な空気の満ちる教室の中、リョータは前から3番目、一番窓際の席に座っていた。小動物みたいに丸まり、消しゴムを両手でひっきりなりにいじっている。

 やがて、リョータの順番が回ってきた。

 先生は、あ、という顔をして、気まずそうにリョータを見た後、ものすごく言いにくそうに「戸塚君、読む?」と聞いた。リョータはこくりと頷く。

 その途端。それまで散漫としていた教室の空気が奇妙に一体化し、ぐんにゃりと揺れた。

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”正しく”なくても”ふつう”じゃなくても懸命に僕らは生きていく。銭湯を舞台に描く、希望の青春群像劇

メゾン刻の湯

小野 美由紀
ポプラ社
2018-02-09

この連載について

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メゾン刻の湯

小野美由紀

”正しく”なくても”ふつう”じゃなくても懸命に僕らは生きていく。「傷口から人生」の小野美由紀が銭湯を舞台に描く、希望の青春群像劇! どうしても就活をする気になれず、内定のないまま卒業式を迎えたマヒコ。住む家も危うくなりかけたと...もっと読む

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