国家を亡ぼすラブソング「ホーカイ節」
明治36年に起きたエリート学生・藤村操の自殺を機に学生の「堕落」「煩悶」が社会問題となり、文学や哲学がその原因であるかのように語られた。しかし学生の堕落自体は、明治30年代前半から問題視されていた。
当時の知識人(志村作太郎,岩崎英重)によるエッセイ集『消閑漫録』(明治31年)の「学生の堕落」の項目を要約してみよう。
ひと昔前の学生は「意気凛として気骨あり、腕力あり、堅忍」で、身だしなみにうつつをぬかすことなく「美少年に狂する」ぐらいのものだったが、今どきの学生は「壮士役者を学び」「娼婦に献身し」、まるで「髭の生へしお姫様」だ。「甚しきに至つては街頭親泣かせ声を恥かしくもなく張り上げて月琴尺八と和調せるホーカイ節を唄ふ」。その声を立身出世を望む故郷の両親が聞いたら気絶するだろう。学生それぞれが自らを矯正しなければ、「親を殺し、併せて身をも滅すに至らん、アヽ是れに止らず学生の堕落は亡国の一因子に非ざる乎」。
学生が歌っただけで親を殺したり国を亡ぼしたりする「ホーカイ節」とは何なのだろうか。明治41年刊行『歌曲全集』(由盛閣)の「ホーカイ節」から、いくつか歌詞を抜粋する。
憎いねと云ふのは可愛ひ謎でもあるか思ひあり気の抓(つね)りようホーカイ
涼みこそほンの附(つけ)たりおまへの顔が見たい計りの蛍狩ホーカイ
並んだるはでな姿につい迷はされ知らず廓の仇櫻(あだざくら)ホーカイ
親類や親の意見で諦めらりよか命と書いたる入黒子(いれぼくろ)ホーカイ
意見されおもひ切ろふと思ふて見れど思やる程思はれるホーカイ
恋といふ一字に心を奪はれてうつかり忘れる義理の二字ホーカイ
「ホーカイ」を「ロンリーエンジェル」に変えたらまるでBOOWYの歌詞みたい、とは言い過ぎかもしれないが、要はラブソングである。
『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると、街中で月琴や胡弓といった楽器を鳴らしながらホーカイ節を歌う若者グループは「法界屋」と呼ばれ、婦女子の憧れの的となっていた。1900年(明治33)頃には、彼らのあとを追う女子ファンが長い列をなしてたことで、風俗問題や交通妨害の問題にまで発展していたという。アマチュアバンドの路上ライブのようなものだろうか。学生が「美少年に狂する」こと(男色)は薩摩文化由来の男らしいふるまいとして大目に見られても、「大人たちに反対されてもお前から離れられやしないのさ」とばかりにラブソングを歌いあげることは、国を亡ぼす悪行とみられていたようだ。
コイバナをする女学生は「肉欲の奴隷」
一方の女学生はというと、やはりこちらも「恋愛に憧れること」を堕落とみられていた。
「マックで聞いた女子高生の話」ならぬ「汽車の中で聞いた女学生の話」から女学生の堕落を憂えているのが、池田錦水『婦人の絶叫』(明治35年)収録のエッセイ「女学生の堕落」である。
「ラブは神聖なり」
「恋は我らの生命(いのち)よ」
「男教師の誰は我らのうちの誰を愛せり、誰を甚だひいきにせり、二人の仲怪しむべし」
と互いに肩を打ち合わせて冷やかしあう女学生グループを目にした著者は、怒りが止まらない。きっと彼女たちの引き出しの中には男からのラブレターが入っているに違いない、こんないやらしい女学生たちはやがて「色欲界の餓鬼」「肉欲の奴隷」と化し、下宿屋のおばさんとなって田舎出の男子学生を求め歩く「大悪魔」となるに決まってる、と妄想を果てしなくふくらませていく。
巌本善治の「恋愛は神聖なるもの也」(『非恋愛を非とす』明治24年)を思わせる発言からしても、女学生たちの「堕落」が西洋文化、それもキリスト教や文学の影響であることは明らかだ。
小説は修身の敵
評論家の正岡芸陽も、女学生が恋愛に憧れて堕落する一番の原因は小説だと断定している。
女学生の年頃は、最も外界の事物に動かされ易き時代であるから、一ツ恋愛小説を読めば、直に其の主人公になりたがり、演劇を見れば、其の女主人公(ヒロイン)になつて見やうなど飛んだ謀反を起すものである、而してこれは学校で聞く修身よりも大なる感化力を有するものである。
淫靡なる小説の青年男女を感化する力は実に盛んなもので、殊に女子に対しては大なる勢力を有して居る。而して今の小説なるものは、一として男女の関係を描かぬものはないから、燃へ易き青春の血は、直ちに篇中の人物と同化して、瞬く間に全く小説に魅せられて仕舞ふのである。
正岡芸陽『理想の女学生』(明治36年)
正岡芸陽は、女学生には「将来の日本国民の良妻たり賢母となつて、第二の国民を生まなければならぬ所の大責任」があるのだから、恋愛をする女学生がごく少数であろうとも社会全体を害すると説く。しかし現状の修身の授業では小説の魅力に太刀打ちできない。彼が推す唯一の処方箋は「其の精神を先づ強固にすること」である。
修身の教科書に組み込まれた自己実現という思想
政府もまた、自我を抑えつけるだけの儒教的な修身教育では、学生の個人主義への傾倒に対応できないと考えていた。日比嘉高「〈自己表象〉誕生の文化史的研究」によると、政府は明治30年代から中学の修身教育に西洋系の倫理学の道徳論を組み込もうと試みる。そこで選ばれた学説は、イギリスの哲学者トーマス・グリーンの説く「自我実現説」だった。
グリーンの自我実現説は、自我を否定しない代わりに、自らの人格を陶冶し、本来あるべき自我(絶対我)へ到達するべく(堕落につながる欲望を自己の意思で支配して)努力せよと青年に訴えかけるものだった。儒教道徳とも接続しやすい同説は、個人主義を嫌悪する当時の教育者たちにも受け入れられた。自我実現説は明治35年の『中学修身教科書』(井上哲次郎)などに掲載されてエリート青年たちを中心に絶大な影響力をふるい、「自我」「自己」「人格」という言葉を日本語に定着させる。
今ある不本意な自分はあるべき自我とは別物で、努力すればすばらしい本当の自我を実現できる、という自我観は、若者を昂揚させる考え方だった。現代の男子も「修行」が大好きだし、女性誌に「自分磨き」はつきものだ。それは社会のありようや自らの資質とは関係なしに、幸福も成功もすべて自分のコントロール下にあるという自己効力感をもたらす。
そうした考えは権力者にとっても都合がいい。「人格を陶冶すれば満足のいく人生になるはずなのだから、自分の不遇を社会や他人のせいにするな」という、現代でもJ-POPやマンガ・ドラマなどにあふれている価値観を若者や女が内面化してくれれば、いくらでも搾取し放題だからだ。
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