人生には限りがある。やり残しはしたくはない。それで本場のジャズに飛び込んだ。

シンガー・ソングライターとして長年脚光を浴びてきた大江千里さんは、47歳のとき単身渡米。音楽大学に通ったのち、ニューヨークを拠点に活動するジャズピアニストへと鮮やかに転身しました。その道のりをつづったnoteでの連載「senri garden ブルックリンでジャズを耕す 」が、このたび『ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』として一冊の本に! 一時帰国した大江千里さんに、ニューヨーク生活とジャズへの想いをたっぷりと伺いました。

音楽は人生を深く生きるためのテキストブックだ。
(「ヒゲとジャズ芽」)


加藤貞顕(以下、加藤)
 新刊の『ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』。いやあ、おもしろかったです。ニューヨークに住んでジャズを「耕す」ことにした大江さんの暮らしぶりが、眼に浮かんでくる。ニューヨークに、行きたくなります。

ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス
ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス (KADOKAWA)

大江千里(以下、大江) ぼくが住んでいるブルックリンは、のんびりした雰囲気があって、空を見上げて雲の動きを追いながら毎日散歩して、その途中で練ったアイデアをもとに作曲するような生活をしています。自分のペースで暮らせていて、いい感じですよ。

加藤 この本は、大江さんのnoteに連載していたものをベースにしているんですよね。内容も日常生活の話が多いから、とてつもないドラマが起こるわけではない。でも、いろんな人とのやり取りを通じて、人生があったかくなるような、すてきなエピソードがたくさんあるんですよね。街のゴミ箱を管理しているジョセップおじさんや、大家のジョーさんとの話なんて、泣いちゃいましたよ。

大江 ジョセップおじさんは仕事がていねいでいい人なんですよ。しばらく姿を見せないことがあって、何かあったのかと心配していたら、ある日ひょっこり帰ってきた。コツコツ貯めたお金で奥さんとバカンスに行っていたんですって。再会できた、ただそれだけのことがやたらうれしくて。

僕は心の底から安堵して、「よかった。また会えて」と思わず言った。おじさんも「うん」と頷いた。
(「ポジティブで行こう」)


 大家のジョーには、大迷惑をかけたことがあって。あるとき僕が風呂の蛇口を開けっぱなしにしてしまい、下階のジョーの事務所が水浸しになった。アメリカ人はものをはっきり言うから、きつい言葉を投げかけられました。

「今まで生きてきた人生の中で、こんなに自分の大切なものを無茶苦茶にされて悲しい気持ちになったことはない。一番最悪の日だよ」
 僕は喉元に上がってくるいくつもの言い訳を必死にのみ込んだ。
(「言いだしかねて」)


 ひたすら謝罪し、弁償も申し出たんですが、しばらくすると水に流してくれた。「僕もあのときは興奮して悪かった」って。
 彼は、近所の貧しい人たちの相談にのる仕事をしていて、長年の記録を残した思い出の台帳が濡らされたのを何より怒っていたんです。
 大事なことは相手にちゃんと伝えるべきだ。そのときの彼のふるまいを見て、そう学びましたね。

人生は短い。
大事な人に伝え忘れることのないように、言いだしかねて悶々とするのはやめよう。
(「言いだしかねて」)


加藤
 ボランティアで病院へ演奏に行く話も胸を打ちます。

大江 そう、オハイオのコロンバスにある小児病棟で演奏させてもらうことになったんです。ピアノはホールにあるんだけど、そこにはだれもいない。重篤な患者ばかりなので、個室でテレビ鑑賞しているのだという。
「直接聴きたくなったらここまで来てね」と言って演奏を始めたら、3人が訪れてくれた。もう数日の命と言われている子たちばかりなのに。
 聴きに来てくれた子たちはすごくうれしそうで、ああ伝わってる、感情がキャッチボールできていると実感しましたよ。

彼に「どうだった? きみへの曲」と尋ねた。言葉を発する力はないのだが「ニカっ!」顔を上下に微かに頷かせ僕に最大の賛辞をくれた。嬉しかった。
(「シカゴからシカゴへ」)


加藤
 大江さんのアメリカ生活には、本当にいろんなことが起こる。それでもとにかくジャズをやっている大江さんが、うらやましくなるほど楽しそうだなあと思います。読んでいるぼくの方までハッピーな気分を分けていただいた気がしました。

大江 47歳にして日本での生活をすべて投げ打って、10代の頃から夢見ていたジャズをやろうとニューヨークの音楽大学に入りました。そうして卒業と同時に、自分のレーベルPND Records & Music Publishing Inc. をつくって「ひとりビジネス」も始めた。アメリカという本場でジャズピアニストデビューして、今年で7年目。まだまだ新鮮なことばかりですよ。

加藤 ものすごい環境の変化ですよね。どんなことが新鮮でしたか?

大江 お客さんの反応ひとつとっても、日本でポップスを歌っている頃に来てくれた方々とは違うので、こちらもプレゼンテーションのしかたを変えないといけないなと思っています。アメリカの人は、その場を楽しみまくろう! という気持ちで来ているから、そのテンションにうまく着火させることを心がけますね。演奏の前には、こんな挨拶をしたり。
「ハイ! センリ・オオエだよ。発音しづらいかもしれないから練習してくれる? まずは僕のこと、Henryって呼んでみて。オーケー。そのHをSに変えてもう一回。(センリー!)ありがとう、それだよ! え? オオエのほうはどう言えばいいかって? 気分悪くなったときのこと思い出して。オゥエッ! バッチリだよ。じゃあ続けて言ってみよう、せーの! (センリーッ、オゥエッ!)サンキュー、じゃ演奏行ってみよう」
 笑ってもらい名前を覚えてもらって、そのうえで演奏する。そんなことの繰り返しです。

加藤 日本でシンガーソングライターとしてポップス界に君臨していた大江さんを知っている僕らからすると、その変貌ぶりにはやっぱり驚かされますね。ジャズピアニストに転身した行動の、根っこにある想いはどんなものだったんですか。

大江 40代になって、人生には限りがあるんだとひしひし感じるようになったとき、やり残しはしたくはないなと思ったのが大きいかな。10代の頃からジャズを真剣にやりたいという渇望はあったので、米国の音楽大学に出願してみたらそれが通って、ふと道がひらけた。そうしたらもう、自分の中で止まらない情熱が芽生えて、そのまま突っ走って現在に至る感じですよ。

加藤 なかなかできることではないですよ。

大江 当初はひとまずポップスを50歳までがんばって、セミリタイアっぽくアメリカに行くのもいいかなと考えたりしました。日本での仕事も楽しかったし、47歳で留学を決意した年には、クリスマス公演も決まっていたんです。でも、そのとき動物的な勘が働いた。やっぱり行くなら今じゃないかって。50になってから始めるんじゃ肉体的にももうきついから、その時の自分の勘に従ってよかったですよ。

加藤 なるほど。とはいえ、アメリカでの学生生活は苦労の連続だったんですよね? そのあたりのことは前作の『9番目の音を探して 47歳からのニューヨーク留学』には詳しく書かれていますけど。

大江 先生も生徒も実力本位で、それぞれのレベルなんてちょっと演奏すればすぐわかりますからね。最初は「アイツはヒゲも生えてるし歳も上だろうから、ちょっとスゴいんじゃないか」って見られたようだけど、一発目の演奏で僕は周りといっしょにノることができず脱落した。

加藤 アート系の子たちは、そういうところ、はっきりしてますよね(笑)

大江 終わったあと、サンキューって声をかけてもみんな反応が薄い。周りからさっと人がいなくなった。まあ、はっきりしてるんです(笑)。まったくのアウェー状態に陥って、いったい自分は何をどこから始めればいいのかと途方に暮れましたね。

加藤 大学の1年目は練習のし過ぎで身体を壊してしまったそうですね。

大江 若者たちになんとか追いつこうと弾きまくっていたら、腕全体が痺れるようになってしまい、ドクターストップがかかりました。3ヶ月弱ほどピアノを弾けなくなって、他の学生たちとの差はどんどん開いていくし、もどかしい気持ちでした。
 でも、こんなときこそ人の演奏をよく聴いて、耳を鍛えるチャンスに変えようと、理論の勉強や聴音を徹底的にやりましたね。この経験は後々まですごく役に立っていますよ。ポップスをやっていたときって、エモーションのおもむくままに歌詞もメロディも書いていたけど、今は違う。
 たとえば曲を作っていて、「ここでは3つの選択肢がある。それぞれにアプローチの違う2種類をつくって比べてみようか。やっぱり最初に思いついたのがいいな」なんてふうに、理論的に考えられるようになりました。自分の中に理論を持っていたほうが、より自由に音楽と向き合えるんですよね。

加藤 40代になってから、音楽への向き合い方も含めて、そうやってイチからやり直すなんて、なかなかできないことですよね。

大江 無用なプライドなんて抱いていたら、毎日学校に足を向けることすらできなくなりますからね。気持ちを奮い立たせる儀式として、学校に着くワンブロック手前のスタンドで、必ず大きいコーヒーを1ドルで買うことにしていました。
 学校には自分よりずっと先に行っているライバルたちがわんさかいる。ああ行きたくないなと一瞬思ってしまうから、校門の前で熱々のコーヒーを握りしめて気持ちを切り替える。よし、大きい声でグッモーニン!と入っていこうと決心して、自分の中のギアを1段、2段くらい上げていましたね。

加藤 その時期の大江さんを支えていたのは、ジャズをやりたいという気持ちですか?

大江 そう、僕はジャズをしたい。その思いしかなかった。ジャズを解くカギに、ちょっとでも近づきたい。自分の音楽がどうしたらジャズになるのか、まだ見つけられてもいないのに立ち止まることなんてできないと考えていました。
 学生生活の最初の1、2年は本当に余裕がなかった。2年を過ぎた頃、ようやく徐々にリラックスできるようになってきて、英語も頭で考えることなくスッと耳に入るようにもなった。学校で演奏していて、「キミ、センリだっけ? グレイト!」なんて言われることも出てきた。
 3、4年目になるとだんだん態度がでかくなってきて、ラウンジの真ん中に陣取って学生の輪の中心になったりするようにも。調子いいですよね、入った頃は廊下の端っこを歩いていたくせに(笑)。

構成:山内宏康


グラスワイン1杯分のお楽しみをジャズと共にブルックリンからデリバリー。ピアノマン大江千里の47歳からの七転び八起きなアミーゴライフをお届けします!


senri garden ブルックリンでジャズを耕す

ケイクス

この連載について

ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』刊行記念対談

大江千里

シンガー・ソングライターとして長年脚光を浴びてきた大江千里さんは、47歳のとき単身渡米。音楽大学に通ったのち、ニューヨークを拠点に活動するジャズピアニストへと鮮やかに転身しました。その道のりをつづったnoteでの連載「senri ga...もっと読む

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nanao17 人生には限りがある。やり残しはしたくはない。 それで本場のジャズに飛び込んだ。|大江千里 @1000hometown 『ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』刊行記念対談 https://t.co/kyX5SaTElN 6ヶ月前 replyretweetfavorite

maruyamatenchou 発送が落ち着いたら読みたいなー。 6ヶ月前 replyretweetfavorite

cucciolo_rs16 大江さんが、40代後半から始めたこと。 6ヶ月前 replyretweetfavorite