六十日さえあれば

「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!
人気コミック『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕がひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕の書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。


アメリカ陸軍弾道ミサイル局のヴェルナー・フォン・ブラウンの部屋の電話が鳴った。もたらされたニュースに彼は愕然とした。そして怒りが腹の底から爆発せんばかりに湧きあがってきた。弾道ミサイル局にはちょうど、新国防省長官のマッケルロイが視察に訪れていた。怒り狂ったフォン・ブラウンは長官にまくし立てた。

「私たちは二年前にやれたんだ! どうか頼むからやらせてくれ! ロケットは倉庫で眠ってるんだ! マッケルロイさん、私たちは六十日で人工衛星を打ち上げられる! あんたのゴーサインと六十日さえあればいいんだ!」

その場にはフォン・ブラウンの上司であり最大の理解者でもあったメダリス将軍もいた。彼は我を忘れたフォン・ブラウンを制止し、冷静に言った。

「いや、ヴェルナー、九十日だ。」

翌日、世界中の新聞の見出しが躍った。「ピー、ピー、ピー、ピー」というスプートニクの「音楽」も、世界中のラジオで繰り返し放送された。一般市民も無線機でその「音楽」を直接聞くことができた。スプートニクの光はアメリカの夜空に肉眼でも見ることができた。「いつでもアメリカに原子爆弾を落とせるぞ」というソ連がスプートニクに込めたメッセージを、アメリカ大衆はすぐに理解した。そして恐怖とパニックに陥った。

政府は平静を装った。アイゼンハワー政権はスプートニクを「使えない鉄の塊」と呼び、アメリカの軍事力の優越は揺るがないことを力説したが、国民は全く納得しなかった。宇宙開発という最先端技術においてどうしてソ連が一番乗りをしたのか? ソ連はオンボロ車しか作れない技術後進国ではなかったのか? ソ連の技術はそこまで進んでいたのか? ソ連にできたことをアメリカはできないのか? 技術力においてソ連に遅れているということは、軍事力においても劣っているということなのか?

そしてアメリカは世界の目も気にせざるを得なかった。アメリカの技術力は世界一ではなかったのか? アメリカは唯一の超大国ではなかったのか? アメリカの自信は深く傷ついた。アメリカ国民はプライドを取り戻すため、一刻も早くアメリカも人工衛星を打ち上げることを望んだ。フォン・ブラウンも、今度こそ出番が回ってくると思った。

ところがそれでも政府は動かず、フォン・ブラウンら陸軍チームよりも海軍を優先させる方針は維持された。そうこうする間にソ連はスプートニク2号の打ち上げに再び成功した。一方の海軍は全米の期待を一身に集めてロケットを打ち上げたが、発射の二秒後に大爆発し失敗した。ぶざまな失敗はアメリカの自信喪失をさらに深めた。

ここに至って政府はやっと、重い腰をほんの少しだけあげた。フォン・ブラウンに打ち上げを準備するよう指示が下ったのだ。ただ、準備をするだけで、打ち上げ自体は許可されなかった。あくまで翌年一月に予定されている海軍の打ち上げが再び失敗した場合のバックアップだった。

年が明けた一月二十八日、海軍は技術的トラブルのため打ち上げを延期した。そして海軍がロケットを修理する一月二十九日から三十一日までの三日間に限って、フォン・ブラウンに打ち上げの許可が下りた。二十六年間待ちに待ちに待ち続けた夢への扉が、たった三日の間だけ、ついに開いたのだった。

最後の敵は天気だった。二十九日と三十日は強風のため打ち上げを諦めざるを得なかった。チャンスは、あと一日だった。

一月三十一日の昼。上空の風速を調べるため観測気球があげられた。

120ノット。

ぎりぎり許容範囲だった。フォン・ブラウンの情熱と頑固さに、最後は天気の神も折れたようだった。宇宙への道はついに開いた。

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宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─

小野雅裕

銀河系には約1000億個もの惑星が存在すると言われています。そのうち人類が歩いた惑星は地球のただひとつ。無人探査機が近くを通り過ぎただけのものを含めても、8個しかありません。人類の宇宙への旅は、まだ始まったばかりなのです…。 NASA...もっと読む

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