その男は名をセルゲイ・コロリョフといった。
フォン・ブラウンの五歳年上。童顔だったが、ボクサーのように顎が歪んでおり、歯はほとんどが義歯だった。苦労した男の顔だった。髪はボサボサ、シャツはシワだらけで、指はいつもタバコのヤニで汚れていたが、女にはよくモテた。そして女好きだった。
コロリョフの幼年期は孤独だった。三歳の時に父が離婚して去った。母は遠くの大学に行ったため、彼は裕福な祖父母の邸宅に引きこもって過ごした。友達はおらず、子供らしい遊びもしなかった。
それがはじめて少年コロリョフの心に接触したのは六歳の時だった。彼が住む田舎町に航空ショーがやってきたので、彼は祖父に肩車されて見に行った。少年は小さな複葉機が自由に大空を舞うのを見た。飛行機を見たのは初めてだった。もしかしたら「自由」を見たのも初めてだったのかもしれない。その日から、彼は空の虜になった。
コロリョフは大学で飛行機の設計を学び、ソ連の伝説的な航空機設計者であるアンドレイ・ツポレフの指導を受けた。二十三歳の時に飛行機の免許を取り、自ら操縦するようになった。そして飛行機を限界まで高く、さらに高く飛ばすうちに、あの「何か」が心で囁いた。
「この上には何があるのだろう?」
それが、宇宙に興味を抱いたきっかけだった。
しかし戦争の足音が聞こえだした一九三〇年代のソ連で、コロリョフに与えられた仕事はやはりミサイル開発だった。彼は頭角をあらわし、二十代後半でソ連ジェット推進研究所の副所長にまで登りつめた。
悲劇は突然やってきた。一九三八年六月、黒服の秘密警察が彼のアパートに踏み込んだ。恐怖に怯える妻と泣きじゃくる三歳の娘を残して彼は連行された。原因は、彼の出世を妬んだ同僚によるありもしない罪の密告だった。行き先はシベリア。歯がほとんど抜け落ちるまで拷問され、死刑宣告を受けた。
六年後、なんとか生きて釈放されたコロリョフに与えられた仕事は、ドイツから奪ったV2ロケットの研究だった。戦後にドイツから連行した技術者を使い、彼はまずV2のコピーであるR1ロケットを作った。そしてそれを元に、R2、R5と、徐々にロケットを大型化した。そして一九五七年、ついに彼はR7ロケットを完成させた。