私の夫は漫画を読まない。……基本的に。新聞書評に導かれて、よしながふみ『きのう何食べた?』を近刊まで一通り読み終えた後、私が書いたコラム(※本連載第5回参照)を読んだ夫は、「へえー、ケンジとシロさんの、BLが、あるの?」と言った。
何度説明してもなかなか通じないが、この世に存在しているのはケンジとシロさんの「(原作者本人の手による)二次創作やおい同人誌」であって、少なくとも私はそれを「BL」とは呼ばない(※本連載第1回参照)。というのはさておき、夫のオットー氏(仮名)が訊くのは、要するに「彼らがセックスしているところも、漫画で読めてしまうの?」という質問である。
訊かれたからには誠心誠意で応えねばなるまい、というわけで、ある日の朝食時、私たち夫婦はテーブルに向かい合って座り、最近オットー氏がハマッている低速回転式製法の搾りたて野菜ジュース(私には正直違いがよくわからないが漠然と意識と女子力が高い)を飲みながら、二人仲良く『ケンジとシロさん』の既刊を読んだ。
「大丈夫です、勉強になりました、もう結構です」
一冊目、「へえ、これが同人誌ねえ、読んでる感じは本編と変わらないね」と最初のうちこそ熟読していた我が夫も、後半クライマックスにさしかかると「うん、うん、うん、……うわー、……わー、わー、いや、ここからは、さすがに読み飛ばしちゃう……」と、次第に目を細めてページをめくる手が高速回転式になっていく。『きのう何食べた?』本編ですっかり慣れ親しんでいた男性キャラクター二人のあられもない姿を、とても直視できないといった様子で、続きを勧めると「大丈夫です、勉強になりました、もう結構です」と丁重に断られてしまい、私だけが舐め回すように隅々まで再読して朝食は終わった。
天ぷら蕎麦(BL)から蕎麦(セックス)を抜いた「天ぬき」のような一品である『きのう何食べた?』に、後からお好みで蕎麦を追加したいか? 我が夫の返答は「No」であった。まぁ、その気持ちは、腐女子である私にだって理解が及ぶ。目を細めてセックスシーンを飛ばし読みする夫の姿を見て、ひどく懐かしい気分になった。
幼い頃、私は男Aが攻め、男Bが受け(A×B)という或るカップリングが大好きだった。しかしそれはあまりにもマイナーすぎる嗜好で、市場にもほとんど同人誌が出回らない。仕方なく私は、圧倒的多数派であるC×BやD×Bの薄い本にも手を出した。Bが受動的に愛でられている内容なら大差あるまい、と軽い気持ちで入手したそれら同人誌の性交シーンを、私はあんなふうに目を細めて読み飛ばしたものだ。
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