「エビデンス」が医療を変えた
「疫学」という、データと統計解析に基づき最善の判断を下そうという考え方は、スノウの発見から100年ほどかけて、医学の領域においては欠くことのできない重要なものとなった。
現代の医療で最も重要な考え方として「EBM」(Evidence-based medicine)、日本語にすると「根拠に基づく医療」というものがある。この根拠のうち最も重視されるものの1つが、妥当な方法によって得られた統計データとその分析結果というわけである。
スノウの疫学は基本的なデータの集計によってコレラのリスク要因を明らかにしたが、疫学の方法論は徐々に現代的な統計学の進歩を取り込み、より高度で正確なリスクの推定を可能にした。
人間の体には不確実性が多く、データを取って分析すると、生理学的な理屈の上では正しいはずの治療法が効果を示さないケースや、経験と権威にあふれる大御所の医師たちがこれまで続けていた治療法がじつはまったくの誤りだった、という事例が少しずつ明らかになってくる。
そのため、医師の経験と勘だけでなく、きちんとしたデータとその解析結果、すなわちエビデンスに基づくことで最も適切な判断をすべきだ、というのが現在医学において主流の考え方なのである。
なおこのEBMという考え方が世界的に広まったのは1980年代から90年代にかけてのことであり、現在責任ある立場で臨床を仕切っている医師たちの多くにとっては「学生時代にはほとんど習っていなかったこと」である。
さらに言えば、現在の若手医師に統計学を教えた教授が「十分な統計学の教育を受けたわけではなく、また本人が現在よく統計学を駆使しているわけでもない」というタイプであるために、そうした医師の統計リテラシーの低さが再生産されている大学もある(かもしれない)。
医師に対する統計学の教育についてはアメリカですら課題が多いらしく、「研修医に基礎的な統計学のテストをした結果がたいへん残念なものだった」という研究がアメリカ医師会の刊行する学術雑誌に掲載されたこともあるくらいだ。現場レベルまでのEBMの徹底というのはまだまだ難しいのだろう。
もし今後、皆さんや皆さんの家族が病気になったとき、医師の治療方針に不信感が芽生えることがあったら、「その治療法はどういったエビデンスに基いて選ばれていますか?」とでも聞いてみるといい。たいていの医師はギクリとするし、今後いい加減なことは言えない、というプレッシャーを与えることにもなるかもしれない。
現場レベルではまだまだ課題が多いにせよ、医学において統計学的なエビデンスが最重要視されることに間違いはない。たとえば製薬会社が新しい薬を作ったときは、綿密に計画された研究方法で採取したデータに対して高度な統計解析を行なう。そしてその結果を厚生労働省に提出しなければ、新薬が認可されたり保険適用が認められたりすることはない。またその薬が市販されたあとも、製薬会社は少しでも自社の商品のウリを作るために巨額の研究費用を投じてエビデンスを作り、そうしたエビデンスをMRを通じて医師たちに売り込むのである。
前回述べたように、エビデンスは議論をぶっ飛ばして最善の答えを提示する。もちろんデータの取り方や解析方法によって、どれほどのレベルで正しいと言えるのか、どこまでのことを正しいと主張して間違いがないのかは異なってくるのは間違いない。しかしながら、エビデンスに反論しようとすれば理屈や経験などではなく、統計学的にデータや手法の限界を指摘するか、もしくは自説を裏付けるような新たなエビデンスを作るかといったやり方でなければ対抗できないのだ。
教育にも活かされる統計学
こうしたエビデンスの強力さが少しずつ知られるようになると、その利用は医学だけに留まらなくなってくる。
たとえば近年アメリカの教育学界においては、さかんにエビデンスの重要性が叫ばれ、エビデンスに基づいた教育方法の評価が行なわれるようになってきている。
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