デカルトは意外と「休む」!?

『デカルトの憂鬱』のなかで、デカルトは……「想像力を使う考察」は「一日のうちごく僅かな時間」にとどめるべし。つまり、精神を疲れさせる会議はボイコットせよ。「ボイコット」などと極端なことを言わなくても、ひとまず会議は中断して、ちょっと休む。そして後日再開したりする……と述べています。でもそんなことできないし、それができないときはいったいどうしたら!? 誰にでもできる方法があります。

04 デカルトは意外と「休む」

たとえば緑の樹、色とりどりの花、そして飛ぶ鳥のように、なんら注意を引くことのないものをただ眺めるだけで、何も考えないようにしようと自分に言い聞かせている人々を真似ること。 ―デカルトから王女エリザベトへの手紙 (一六四五年五月ないし六月)

森のなかを散策した初めての経験

 私は二十代の後半から三十代の前半にかけてフランスで暮らしました。デカルトについて博士論文を書こうと思ってのことです。最初の頃はフランス政府から奨学金をもらってパリに住みました。しかしそれも期限のあること。奨学金の支給がストップしてからは生活費を稼ぐために仕事をしなければならなかった。

 そのなかでも私の人生にとって決定的だったのが、ドイツ国境沿いのストラスブールという街に得た仕事です。そこには十七世紀に創設された大学があり、私は日本語と日本文化についてフランス語で講義することを任されたのです。

 早朝に始まる日本語の授業には、その容姿から他の学生と明らかに異なる一人の女子学生がいました。教師の私よりもずっと年上だったのです。熱心に授業を聞く彼女の姿に、私は自然と目が向くようになりました。彼女のほうはどうだったでしょうか。フランス語の拙さを覆い隠そうと脂汗を浮かべながら教壇に立つ一人の日本人男性の悪戦苦闘に興味を持ったようです。いつしか私たちは授業の合間に立ち話をするようになりました。

 フランスの新年度は十月に始まります。ということは、暦のうえで最初のまとまった休みはクリスマス休暇。単身で赴任した私にはこの休みを一緒に過ごす友人は近くにおらず、ただ孤独でした。しかし、あと数日でようやく休暇も明けるという一月のある昼下がり、彼女から一本のメールが入ったのです―「今夜、我が家に食事にお出でになりませんか」。

 突然の招待に少し躊躇いましたが、ストラスブール駅から北に一時間ほど電車に揺られたところにあるヴィッサンブールまで出かけました。土地の人が「森の向こう側」と呼ぶ、古い歴史を持つもどこか周りから隔絶された感じのする美しい街です。

 電車を降りたらあたりはもう真っ暗で、ひどく寒かったのを思い出します。駅舎を背に歩を進めると、長身の男性が立っているのが見えてきました。そしてその横には、見覚えのある顔が微笑みとともにありました。彼女です。夫妻そろって私を迎えに来てくれたのでした。

 あの日の夕食から私たちの仲は急速に深まり、互いを親友と認め合うまでになりました。そして彼女はご主人とともに、自分たちの住まうアルザス地方について懇切丁寧に教えてくれたのです。

 そのなかでも私に強い印象を残したのは、この地方の雄大な自然です。雄大と言っても内陸ですから、海はない。しかし、フランスとドイツを分けるライン川の静かな流れ、あたり一面に広がるブドウ畑、そしてなにより緑深い森がある。

 私たちは三人でよくこの森に散策に出かけました。時には重要な任務もありました―復活祭の近づいた春には、サラダにするためにタンポポの葉を摘みに、森が霧に包まれるようになる秋には、ジビエ料理とともに食べるキノコを探しに。そうして何時間も森のなかで一緒に歩きながら過ごすのです。関東平野の、アスファルトで埋め尽くされた都市部に育った私の人生で初めてのことでした。

デカルト的「散歩の効用」

 哲学史を繙くと散歩好きの哲学者がけっこういることに気づきます。

 わりと知られているのは、カントでしょうか。十八世紀ドイツを代表するこの哲学者は、毎日、決まった時刻に決まった経路を散歩したそうです。散歩の時間があまりに正確だったため、彼を見かけた民家では狂った時計を直す目安にしたとか。

 そのカントが散歩するのを忘れてしまうくらい没頭してしまったのが、同時代のスイス出身の哲学者ルソーの書いたものです。彼も散歩を好んだようで、その実体験もあってか『孤独な夢想者の散歩』(一七七八年)という素敵な本を残しています。

 日本人哲学者はどうでしょうか。琵琶湖疎水に沿って銀閣寺のあたりまで続く「哲学の道」を散歩しながら思索したという、京都学派を代表する西田幾多郎や田辺元のことが想起されます。そう、哲学者はよく歩くのです。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes・note会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

この連載について

初回を読む
デカルトの憂鬱

津崎良典

悩みや心配、悲しみ、怒り、憎しみ……そんな「マイナスの感情を確実に乗り越えられる方法」はあるでしょうか? あの「我思う、ゆえに我在り」であまりにも有名な近代哲学の祖・デカルトが、私たちに降りかかるマイナスの状況にいかに対峙すべきか、「...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

ondarov 休むことを推奨する人すき。 https://t.co/pZUbjSOwWG 3ヶ月前 replyretweetfavorite