第1回 Prologue 宮前久美、登場

6月10日に『100円のコーラ』シリーズの完結編『100円のコーラを1000円で売る方法3』が刊行されます。そこで第1弾『100円のコーラを1000円で売る方法』を完全公開。 『100円のコーラを1000円で売る方法』は、会計ソフト会社である駒沢商会を舞台に、強引なセールス手法でトップセールスになった宮前久美が、「お客さんが喜ぶ商品を創り出したい」という想いを実現するために商品企画部に異動して与田誠に出会い、格闘しながら「価値を売る」マーケティングを学び、商品プランナーとして大きく成長していくストーリーです。

01

朝8時。鈴木信彦が東急田園都市線鷺沼駅から電車に乗り込むと、与田誠がいつもどおり、つり革につかまりながら、新聞を読んでいた。180センチを超えるがっしりとした体格で眼光が鋭い与田は、車内でもひときわ目立つ。

      

「おはようございます」 与田が新聞を畳みながら、鈴木に挨拶をした。 

 平日の朝、田園都市線で急行に乗るには勇気が必要だ。沿線一帯は、二子玉川・たまプラーザ・あざみ野を中心に、現代の日本では数少ない人口増加地域。そこを通るのはこの田園都市線だけだ。通勤時間帯の急行は、いつも殺人的に混雑している。
 少しでもゆったりと通勤したいという人は各駅停車を利用する。都内に入るまでに時間は15分から20分余計にかかるが、そのかわり、折り畳んだ新聞が読める程度のスペースは確保できる。

 鈴木は、各駅停車派だ。鈴木は会計ソフトウェア専業の駒沢商会で、商品企画部の部長である。駒沢商会に中途入社してから主に業務畑で仕事をしてきた。日の当たる商品企画の仕事ははじめてだったが、もうすぐ定年を迎える鈴木に対して、会社が用意してくれた花道だった。ここ数年間の駒沢商会の主力商品である会計ソフト〈現場の会計〉を育てるのが、目下の課題だ。

 ただ、これまで業務畑にいた鈴木にとって、商品企画の仕事はわからないことばかり。幸い、商品企画部には、3年前に駒沢商会に転職してきた与田がいた。与田は40代前半。主にソフトウェア企業を中心にマーケティングの経験が長く、知見も深い。鈴木は商品企画部部長になってから、何かにつけて与田を頼りにしていた。
 与田は、同じ田園都市線沿線に住んでいた。そこで鈴木は、各駅停車で与田と一緒に通勤することで、いろいろなことを教えてもらっていた。一見すると気難しそうな与田であったが、柔和な鈴木とは不思議とウマが合った。

 鈴木は、カバンを床に置きながら、与田に話しかけた。
「今度、地方の営業所から女性のセールスが東京に転勤してくるんですよ。
10年間セールスひと筋でいろいろと武勇伝があるそうです。与田さんは、山下商事さんの案件って、聞いたことありますか?」
「山下商事—」車窓の外を流れる景色に目をやりながら、与田は思い出すように言った。「たしか、ウチの大口顧客でしたよね。業界トップのバリューマックス社の大口ユーザーだったのを数年前にひっくり返して、ウチの主力商品〈現場の会計〉を大量導入したって聞きましたけど。わりと有名な話ですよね」
「実はその案件をひっくり返したのが、今日入ってくる女性セールスなんですよ」鈴木はあたりを見回し、少し声をひそめて与田に言った。「そのやり口がまたすごいんです。経理部長がキーマンだったんですけどね。どうやって調べたのか、セリングしている最中に経理部長のマンションの隣の部屋に引っ越したそうです」
「なかなか強引ですね」
「さらに、経理部長の出勤時間を調べて、いかにも偶然、といった感じを装って通勤
電車で一緒になって、出勤途中にいろいろと社内の情報を聞き出したらしいんです。
その経理部長、奥さんとモメていて、しばらく奥さんが子どもを連れて実家に帰っていたそうで—。そんな状況で、隣に住んでいる若い女性がニコニコ話しかけてきたら、誰だってうれしくなりますよね」
「まあ、一人は寂しいでしょうからね」
「何度か経理部長に言い寄られたそうですけど、ノラリクラリとかわしていたそうです。で、契約した途端、『実は私、彼氏がいるんです』とそっけなく振ったとか」
「なかなかやり手ですね。反則スレスレですけどね」口元に笑みを浮かべながら、与田の目が鋭く光った。

 鈴木は続ける。
「あと、『女の営業なんてウチでは出入り禁止だ』と言っているお客さんを担当したときは、上下男用のスーツで決めただけでなく、男用のカツラまでつけて、男の名前の名刺を出して売り込みをかけたらしいです。その強引さにお客さんが気圧されて、思わず契約書に押印してしまったとか—」
 与田の表情がふっとゆるんだ。
「名前はなんていうんですか?」
「たしか、宮前久美だったかな?」
「最近の若い人たちには、なかなかそういう骨のあるタイプはいませんから、楽しみですね。ウチの営業部もおとなしい連中が多いですから、いい刺激になるかもしれません。ぜひ会ってみたいものです」
「いや、営業部ではないんです。本人は『セールスはもう十分。今度は商品企画をやりたい』と希望して、人事が了承したんですよ」
 与田は目を丸くする。
「え? ということは—」
「そう、ウチの商品企画部に異動することになりました。しかも、今日から—」
 そのとき、静かな車内にいきなり女性の大声が響き渡った。

「アナタね! 私に触るなんて、100万年早いのよ!」

鈴木は「なんだなんだ? 痴漢?」と声がした方向に目をやった。すると、長身の女性が、やや小太りで風采が上がらない50がらみの男の手を高く掲げてねじり上げている。
男は身をかがめて、「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」と謝っていた。痛そうに飛び跳ねているところを見ると、ハイヒールで思いっ切り足を踏まれたらしい。
 与田は注意深くその女性を観察した。鮮やかな色のスーツを着こなし、年齢は30歳前後。アカ抜けていて目力が強く、いかにも勝ち気な印象だ。黒いストレートのロングヘアがひときわ目立つ。

「はあ? ゴメンナサイ? 冗談じゃないわ。だいたいね、謝ってすむなら警察なんていらないのよ! 降りなさい! 警察に突き出してやる。まったく、久し振りに東京に帰ってきたと思ったら、朝から散々だわ。信じられない!」
 顔面蒼白になっている男に対して、女性はマシンガンのようにキツい言葉を浴びせかけた。車内にいるすべての乗客の視線が集まっているというのに、まったく気にするそぶりもない。
「警察」という言葉を聞いて、男がその場にヘナヘナとへたり込んだちょうどそのとき、電車は駅に到着した。


 女性は、しゃがみ込んだ男の手首をつかんだまま、強引に駅に引きずり降ろした。
すさまじい力だ。車窓から駅のホームを見ていると、男を無理やり引っ張っていった女性が駅員にものすごい剣幕で話しているのが見える。

 電車が駅を出ると、騒然としていた車内に、徐々に静寂が戻ってきた。鈴木が与田に話しかける。
「いやあ、すごかったですねえ。でも、きれいな子でしたね」
 鈴木と与田を乗せた電車は、その後、何事もなかったかのように会社がある半蔵門駅に定刻どおりに到着した。

02

午前9時の商品企画部のオフィス—。今朝は10時から商品企画部会議だ。まだ1時間ある。鈴木は自席でコーヒーに口をつけながら、会議で話す内容を確認していた。異動してきた宮前久美を紹介することも入っている。そういえば宮前さんはまだ出社してこないなあ、と思っていた矢先、電話を受けていた秘書が鈴木に話しかけてきた。

「今、宮前さんから電話があって、急用で出社が11時ごろになるとのことです」
 やれやれ、初出社でいきなり遅刻か。宮前久美を紹介するのは、会議の最後になりそうだ—。

 商品企画部会議では、商品企画部20名がほぼ全員揃う。お互いの業務連絡をしているうちに、終了の11時が近づいてきた。鈴木が締めの言葉を話していたとき、突然会議室のドアが開いた。
そこには、鮮やかな色のスーツを着こなした長身の女性が立っていた。
 鈴木と与田は、同時に「あ!」と声を上げた。そこにいたのは、今朝の電車で痴漢をつかまえて駅員に突き出した女性だった。
 その女性はいかにも不機嫌そうな顔つきで「こんにちは」とだけ言うと、空いている席までスタスタと歩いていき、いきなり会議用の椅子に身体を投げ出した。
「まったく。『会社に言わないでください』とか『警察呼ばないでください』とか、大の大人が泣いて土下座するなんて—。絶対、許さないんだから!」

 まわりの人が目に入らないのか、片肘を突きながら聞こえよがしにブツブツと文句を言っている。事情を知っている鈴木と与田はまだいいが、他の部員はいったい何事かとおろおろするばかりだ。鈴木が恐る恐る尋ねた。

「あのー、もしかして、宮前さんですか?」
 名前を呼ばれた女性は、「はい、そうですが何か?」と言って顔を起こし、鈴木を見上げた。鈴木は、遠慮がちに言う。
「部長の鈴木です。来て早々ですが、自己紹介していただけますか。みなさん、こちらは今日から商品企画部に異動していただいた、宮前久美さんです」

 宮前久美ははじめて他人の存在に気づいたかのようにあたりを見渡すと、黙ってゆっくりと立ち上がった。長い黒髪を払いながら、ひと呼吸置いて言い放った。

「この会社の商品、みんなガラクタです!」
 久美の思いもかけない言葉で、会議室にいた20 名の空気は一瞬で凍りついた。
「そんなガラクタを押しつけられた現場の営業は、ものすごく苦労しています。私が東京に戻ってきたのは、この会社のガラクタをちゃんとした商品に変えるためです。以上—」


 

 あまりの出来事に、鈴木は口をあんぐり開けたまま、何も言い返すことができなかった。ざわつく周囲のことなど眼中にないのか、久美は(言いたいことはすべて言ったわ)と言わんばかりの様子で勝手に座ってしまった。

 

100円のコーラを1000円で売る方法3

 

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この連載について

100円のコーラを1000円で売る方法

永井孝尚

6月8日に40万部突破のビジネスストーリー本『100円のコーラ』シリーズの完結編『100円のコーラを1000円で売る方法3』が刊行されます。 そこで第1弾『100円のコーラを1000円で売る方法』を完全公開。勝気な主人公・宮前久美と...もっと読む

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コメント

fukupee コミック3巻も読みたいっ! 4年以上前 replyretweetfavorite

sadaaki ベストセラー『100円のコーラを1000円で売る方法』の連載もはじまりました。よければぜひぜひ。 5年以上前 replyretweetfavorite

nagaichika コミックの絵が入ると臨場感でますねー 5年以上前 replyretweetfavorite