コミュニケーションは仕組み化したほうが絶対にいい
高橋晋平(以下、高橋) 前回、吉田さんが落研出身だったという話がありましたが僕も実は大学時代に落研に入っていました。
僕の場合は、高校までいわゆるコミュ障(コミュニケーション障害)なところがあり、全然友達もいなかったので、大学では一生懸命しゃべれるようになろうと思って、落研に入ったんです。でも明るくはなれませんでしたが。
吉田 当然ですけど、落研って(コミュ障の人にとって)一番怖いところじゃないですか。思い切れたのもすごいですよね。
高橋 そうですね。それが今の自分につながっていることもあるかもしれないです。
ただ、入った当初は大変でした。その落研で高齢者施設に慰問に行って、初めて人前で落語をやった時なんかマジで緊張してしまって……。
そこで、やったのが古典の『花色木綿』という話なんですが、当時お笑いの突っ込みで「なんでだよ!」というのを激しく言えばウケるというのが流行っていて、僕はその『花色木綿』で、ボケては「なんでだよ!」、ボケては「なんでだよ!」と、必死に何度もやっていたら、お年寄りの一人が具合を悪くして運ばれていった、というのがデビューだったんです。
吉田 デビューで病院送りを……(笑)。
高橋 そうなんです。慰問なのに……。それでも、何年も続けていくと人を笑わせることに自信がついたというか、人を笑わせる才能が自分にはあるみたいな勘違いから、おもちゃの世界に入ったんです。
その点、吉田さんはどうだったんですか?
吉田 僕は大学を卒業し、アナウンサーになったんですが、アナウンサーはある意味、異様な特殊職なんですよね。
一番恐ろしいなと思ったのが、あるディレクターに「アナウンサーがいてその場がつまらなかったら呼ぶ意味ないんだよ」と言われたことです。たしかにそうかもしれないけれど「それって芸人の究極の形だろ」といったことを思ったりして、「それじゃあ何を言えばいいんだ?」と、怖くて何もできなくなってしまって。
そんな時に「じゃあ、なんでコミュニケーションを取らなければいけないの?」までさかのぼって考えたんですよね。
そこでいろいろ調べていくと、「人間は群れ生物だからコミュニケーションをとらなければ生きていけない」ということに行き当たり、そのことが妙に腑に落ちたんです。
そうしてコミュニケーションの実践を繰り返していくうちに、「コミュニケーションはスポーツみたいなものだ」と思えるようになり、「ゲームならイケルかもと」と思ってプレイし続けていると、しだいにコツや定石みたいな攻略法がわかってきて、これはほかの人もそう思ったほうが楽なんじゃないかと思ったわけです。
高橋 最近出た『コミュ障で損しない方法38』(日本文芸社)は、本当にコミュニケーションの方法が仕組み化されていますね。
吉田 そうですね。仕組み化したほうが、同じ失敗を繰り返さないし、コミュニケーションをとるうえで、戦略も出来上がってくるんですよね。
「好きなもの」や「やりたいこと」ってそうそう見つからない?
高橋 僕も企画のつくり方を仕組み化しているのは、そもそもできないからやっていることなんです。おもちゃ開発者というと「アイデアなんてポンポン出るんでしょ」とか、「やりたいことたくさんあるんでしょ」とかよく言われるんですけど、そんな才能は僕には基本的にないんですよね。
体も弱けりゃ、心も弱い、もしかすると頭も弱いかもしれない(笑)、という状況で、かつ買い物するときも「300円? 高いな」みたいな、めちゃくちゃ庶民でもあるんです。
つまり、一般人であり、弱者であり、もしかしたら一番多い人間なのかもしれない、というところの感覚を僕はすごく大事にしていて……。
しいて才能と言えば、その人たちが持つ「欲しい」がわかるのが、僕の才能なんじゃないかと思うんですよね。今回書いた本では、その「欲」の収集の仕方を書いているというか……。
吉田 なるほど。
前に、評論家で『PLANETS』編集長の宇野常寛さんと、「自己啓発で勉強しなければと思っているOLさんが、突然書店の語学コーナーに行って本を見たりしているけど、そんなことよりもジャニーズが好きなら、ジャニーズの本をずっと読むみたいに、もっと“自分の欲望”を開放したほうがいいはずだ」というような話をしたことがあるんです。