「人間、特別の才能とか、才能の差はないってこと。(中略)もともとの天才はいない。努力だったり、好きで極めたいと思って、それを貫き通した人が天才だと思う。」
(大野智,1980-)
アイドルは夢じゃなかった
——アイドルになることが夢だったのですか?
「いや、全然。ジャニーズって歌って踊って、何だか大変そうだと思ってたから(笑)」
こんな受け答えをしてしまっている大野智。小3のときから絵を描いていて、本当になりたかったものはイラストレーター。大野はジャニーズの中でも、当初「なんでこんなところに」の感覚を強くもっていて、他人に流されてきた時間も多い人です。
しかし、ジャニーズアイドルとしての成功は言わずもがな、現在、きちんと自分のやりたいことができている人でもあります。
自分が本当にやりたいことはわかっている。しかし、流されるまま、違う仕事に就いてしまった——。多くの人が抱える悩みでもありますが、大野はその状態から、与えられた仕事でも、自分のやりたいことでも、成果を出すところまで辿り着いた人。そこには、大きなヒントが隠されています。
そんな大野の人生をまずは簡単に振り返ってみましょう。
流され大野の嵐になるまで
94年、中学校2年生の時に、母親にジャニーズ事務所に履歴書を送られ、いやいやジャニーズ入り。
しかし、それから5年間は「踊りを極める」という目標を自ら設定し、努力を重ねます。
そんな折、高校を、入学3日目に校門の前で引き返すというかたちでやめています。そのことをジャニーさんに告げたところ、「じゃあ京都行く? 京都ならメインで踊れるよ」と誘われ、京都行きを決意。『KYOTOKYO』という舞台に出演します。
しかし、この舞台は、約半年の公演期間中、京都で暮らさなければいけないのはもちろん、1日5回公演というハードスケジュール。さらに、1000人入る劇場で、お客さんが50人しかいないようなこともあったといいます。つらすぎて、フライングでつるされながら泣いていた日もあったという大野。
それでも「生まれて初めて無我夢中になれた」というほど踊りには熱中でき、2年連続で京都での舞台を終えます。さらにその後、少年隊の舞台に出演した後、事務所を辞めようとし、ジャニーさんに直訴します。ですが、ジャニーさんに「レコーディングを手伝ってくれ」と呼ばれ、楽譜を見たら〝嵐〟〝大野ソロ〟と書かれていた……。というのが嵐になるまでの流れです。
「就職しちゃったんだ」
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