なかなか企画が通らない
「美鈴社長、やはりここにいましたか。捜したっす」
そう言って美鈴の隣に座ったのは、編集部でいちばんの若手社員・甲本。営業部の榎本から「社長なら三毛猫茶房にいるだろう」と聞いて訪ねてきたという。
甲本は、入社3年目の25歳。最初は先輩から引き継いだ本を担当しながら編集のイロハを学び、ここ1年ほどは自分の企画を積極的に提案している。
だが、なかなか企画が通らない、ということは編集長の田之上から聞いていた。
口では大きなことや正論をいうが、実際には行動力がないという短所がある。そのため、社内でも「また偉そうなこといって」とまともに相手にされていない面があった。「発想は面白いんだけど、いまいち信用できない」というのは、編集長の田之上の弁だ。
「いったいどうしたの?」
美鈴は、会社で年齢がいちばん近いせいもあって、ふだんから甲本にはため口だ。
「実は相談があるっす」と甲本。
森下書房のロングセラー本である『中学生でもわかる哲学教室』のマンガ版を企画したのだが、編集長が首を縦に振ってくれない、というのが甲本の相談だった。
「これ、絶対イケると思うっす。編集長では話にならないから、社長にしようと思ったんすよ」
甲本から企画趣旨をくわしく聞くと、たしかに面白そうだ。ベストセラーのマンガ版というジャンルは書店でも確立されていて、データ上では多くの作品が一定レベルの売れ行きを示していた。
「でも、うちはマンガ本をつくったことないし、売れるかどうか確信をもてない、って編集長は反対ばかりっすよ」
甲本は口をとがらせた。
「私は面白いと思うけどなあ」
甲本の作成した企画書をめくりながら美鈴はつぶやいた。
「さすが、社長っす。編集長はセンスがないっす」
「マンガならスマホでサクッと読めるしね」
「あ、俺もマンガはスマホ派っす。電子書籍は持ち歩かなくていいし、便利っすよね」
「そうね。この企画も電子書籍にするんでしょ?」
「そうっすね。ただ、紙の本を出してしばらく経ってからになると思うっす」
「そうなの?」
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