東京芸術劇場でのリサイタルの最中にあなたを殺す」

「受注数世界一の、殺しの会社を創りたいんです」
女子大生、桐生七海は本気だった。「営業」ができない、「広告」も打てない、「PR」なんてもってのほか、世界一売りづらい「殺し」をどう売るか――、そんな無理難題を「最強のマーケティング技巧」を持つ西城に弟子入りすることで解決しようとする七海。今話題の書店経営者が初めて書く新しいマーケティング&エンタメ小説、第5回。

客席のほうから、予期しなかった悲鳴が上がった。

観客に紛れ込んでいる私服警備員の報告を待たずに、桐生七海は紫色のイブニングドレスの裾をたくし上げるように持ち、ステージ上手の袖から、一瞬だけ出て客席を見渡す。

間髪を容れずに、耳に仕込まれた無線機が鳴る。

「クリア」

客席の私服警備員が七海に向かって軽く手を上げている。問題ないとの合図である。 客席の後方中央付近で、顔を歪めて天を仰いでいる若い男の姿を捉える。その男は見たことがなかったが、その隣にいる一際目立つ白いワンピースの女性に、七海は見覚えがあった。

「相川響妃……」

袖に戻りながら、その女性の名前をつぶやく。

今、テレビ業界において飛ぶ鳥を落とす勢いの若手のフリーアナウンサーだった。フリーアナウンサーながらも、自分の名前を冠したコーナーを様々な番組内に持ち、特にスクープを連発している「相川アイズ」の視聴率は、ありえない高水準を保っている。

七海が知るある起業家は、彼女のことをこう表現した。

味方になればいつ敵になるか怖い、敵になればマフィアよりも怖い、ほどよい距離感を保つのが最善の策だと。

彼女がどうしてここにいるのだろうか。
考える間もなく、現場の部下から無線に次々と報告が上がってくる。

「エントランス、異常なし」

「公会堂前公園、異常なし。喫煙所の身元オールクリア」

「裏口、楽屋、すべて異常なし」

「一階男性トイレ、女性トイレ、通路、すべて異常なし」

「二階トイレ、封鎖済み、異常なし」

「二階席、異常なし。映写室、封鎖済み、異常なし」

「一階席、リスク、排除中」

袖幕の合間から客席を見ると、先ほど悲鳴を上げていた男と相川響妃が、警備主任の香田によって、外に連れ出されようとしているところだった。一一八キロの香田の、まるで仁王像のような巨体を目の前にすれば、人は抵抗を諦める。

その周囲はざわめき、中には携帯電話で写真や動画を撮っている観客もいた。普通なら、すぐにこれらの写真や動画は、スマートフォンからツイッターやフェイスブック、インスタグラムなどのSNSを通じて、一斉に世界に配信されるのだが、この空間ではそれが不可能だった。

なぜなら、七海とスタッフが、妨害電波でこの劇場を完全に携帯電話「圏外」にしていたからだ。警備員が使う無線の電波や医療緊急用のPHS回線以外は、外部と連絡が取れないようになっていた。これも、万が一客席に不審者が忍び込んだ場合の防御策の一つである。

なかなか警備員の指示に従わなかった相川響妃だったが、連れの男性に手を引かれて、警備員に囲まれながら、客席の外に出た。それを見届けてから、七海はネックレスに仕込んだ小型無線機の発信ボタンを押して言う。

「舞台袖、異常なし。警備本部より、全スタッフへ。オールクリア。直ちに開演せよ」

「了解」

それとほぼ同時に、アナウンスが会場に鳴り響く。

「大変長らくお待たせしました、まもなく開演します」



七海は、戻ってきた警備主任香田の姿を認めると、あとはよろしくね、と上手舞台袖に設えられた指揮所から離れる。

ここまで来れば、今回の仕事も九〇%が終わりである。 今回の依頼人、チェリストの山村詩織は友人でもある。その晴れの舞台を客席から観ようと決めていた。それなので、今日はドレスアップしてきた。

手慣れたものだ、と七海はスタッフの様子を見ながら内心で自嘲する。

イベントの運営やボディーガードをするためにマーケティングを学んだわけではなかった。あくまで、七海がやりたかったのは、「受注数世界一の殺しの会社」だ。殺しのほうの受注は一向に伸びなかったが、一方でイベント運営とボディーガード業務の受注が飛躍的に増えた。

便宜上創っていた会社「レイニー・アンブレラ」は、七海の思惑に反し堅実に売上を伸ばしていき、取引額が大きな規模になってしまい、ついに注目される優良企業となった。そして存在自体を隠しきれなくなった。

無論、「受注数世界一の殺しの会社」を創るのが目的の七海にしてみれば、注目されることは好ましいことではない。あらゆるリスクが生じることになる。

しかし、ひたすらに隠していた素性が、学生が運営するWebメディアで取り上げられ、続いて小さな経済誌が実は率いているのは女子大生社長だったと記事を書き、それをきっかけとしてメディアが殺到するようになった。

七海にしてみれば、不可抗力だった。普通の企業ならば、メディアに取り上げられることは極めて望ましいことだろうが、七海にとっては、出れば出るほどリスクが増大する。出ないとなれば、勘ぐられるだろうと思い、数を絞ってメディアには出ることにした。

ただし、幸い、殺しとイベント運営の業務を、結びつけて書くメディアはなかったし、取り上げられるのは、七海個人のことがほとんどだったので、本来の業務に今のところは不思議と支障はなかった。

七海が友人でもあるチェリスト山村詩織からボディーガードの依頼を受けたのは、公演日から一ヶ月前のことである。

「最近、おかしいんです。気配を感じるというか。それでも、気のせいだと思っていました。これまでも、なんというか、しつこい人も中にはいましたので、ファンの方かと思っていたんですが」

池袋の小さな喫茶店で、山村はそう言って、美しいながらも、ただでさえ薄幸に見える面立ちを陰らせた。午後の光が南の窓から入り込み、それを背にしている山村の輪郭は、逆光の中で儚く見えた。

部屋に帰ってみると、明らかに誰かがいた形跡があったという。常駐している管理人に防犯カメラを確認してもらっても、怪しい人影はなかった。山村の部屋がある六階のフロアだけでなく、そのマンション全体に見られなかった。しかし、一度、蚊の羽音を聞いてしまうと、たとえもういなくとも、一晩中、体の至る所がかゆいような錯覚に囚われてしまうように、一度疑心暗鬼になってしまうと、たとえ実際に誰も入っていなくとも、脳は錯誤して「いた」と判断してしまう。

念のため、山村はそこから引っ越した。よりセキュリティーが万全な、芸能人も住んでいる高級マンションだった。しかし、引っ越しても、誰かが来ていた痕跡は消えなかった。たとえ防犯カメラに何一つ怪しげな人影が映っていなかったとしてもだ。

そして、ついに、脅迫の電話がかかってきた。

「東京芸術劇場でのリサイタルの最中にあなたを殺す」

男性の声だったという。以後、誰かが来ていた痕跡はなくなり、山村は友人の藤野に相談し、七海の会社「レイニー・アンブレラ」が、要人のボディーガードも包括的に請け負っていることを知る。

でも、と七海はお冷やを一口飲んでから言う。

「携帯電話に、履歴は残っていなかった」

山村は、ロングの髪を揺らすように、コクリと頷く。

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殺し屋のマーケティング

三浦崇典

「受注数世界一の、殺しの会社を創りたいんです」 女子大生、桐生七海は本気だった。「営業」ができない、「広告」も打てない、「PR」なんてもってのほか、世界一売りづらい「殺し」をどう売るか――、そんな無理難題を「最強...もっと読む

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