煩悶ボーイは堕落ガールに恋をするか

不道徳なお母さんライターが、日本の「道徳教育」のタブーに踏み込み、軽やかに、完膚なきまでに解体! 明治時代までさかのぼり、日本における「読書」と「道徳」の関係をさぐります。
ときは明治30年代、少年雑誌と、その後に少女雑誌の創刊ラッシュがはじまります。そして、文学少女は「不良」の烙印を押されることになり…。

『石狩少女』―明治末期のガチ文学少女とミーハー純愛女子

明治末期に女学生だった森田たまの自伝的小説『石狩少女』(1940)は、当時の「読書する少女」がいかに不道徳的な存在にみられていたかが描かれている。ヒロインの悠紀子は、「大人の読むような書物を読みこなす」早熟で生真面目な少女だ。女学校に入るのは良妻賢母になる修養を積むためだと教えられるが、そんなものになる気はさらさらない。女学校の入学試験で、将来学問で身を立てたいので女学校を飛ばして大学に入りたいと正直に書く彼女は、母や姉に疎まれ、周囲からも浮き気味だ。

悠紀子は少女雑誌の作文投稿欄で何度も賞を獲る文才の持ち主だが、当時の少女雑誌の投稿欄は、女性名で少女を騙して文通やあいびきを図ろうとする男子学生の絶好の狩猟場でもあった。文通希望の手紙が届いて主が男と知った悠紀子はすぐ拒絶したが、徳富蘆花の『不如帰』に入れ込む小説好きの学友・けい子はのぼせあがる。徳富蘆花は当時、難病純愛小説『不如帰』などで女学生に絶大な人気を誇っていた流行作家だ。つまりけい子は文学少女というよりは、セカチュー的な純愛に憧れるミーハー女学生という位置づけである。

女学生の流出ラブレターが新聞に載る時代

男と手紙を交わしたことが発覚したけい子は教師に叱責され、学校中の噂と陰口の的となる。けい子は男とのやりとりをやめるが、怒った男はけい子の手紙を新聞社に持ち込むという暴挙に出る。かくて『不如帰』の悲恋のヒロインになりきって書いたラブレター6通が、「女学生の手紙」というタイトルで新聞に掲載され、けい子は退学に追い込まれる顛末となった。有名人の不倫LINEではあるまいし、一般人である女学生のラブレターが新聞に一字一句載るなんて、当時の「小説で恋愛にかぶれた女学生」への風当たりの強さがしのばれる。

対して悠紀子は、ツルゲーネフを愛読し、国木田独歩の死に涙する孤高の文学少女である。独歩は「野蛮? 野蛮なら何だ。我は野蛮を愛す。世に尽すべき義務とや、人は独立不羈の生活、平和満足而して自由の生活を営むべき権利を有して居るのだ。 自から欺いて倫理学とかいふ奴隷の信条を招牌とすべき義務はない!」(『帰去来』)と熱く登場人物に語らせるほど道徳に否定的な作風で、そんな作家を愛する悠紀子は良妻賢母道徳を疑わない姉とは会話がかみ合わない。「姉さんはまるで修身の教科書のようだわ」という悠紀子に、姉はこう返す。

「それが一ばん正しいんじゃありませんか。悠紀ちゃんみたいに文学かぶれをして、自殺した青年がどうとか、煩悶が何とかいうのは立派な不良少女よ」

エリート男子の自殺から始まった「煩悶」ブーム

まじめに勉学に励む文学少女が不良呼ばわりされるのには、ある社会的な背景があった。明治30年代後半からの「煩悶」ブームだ。

「煩悶」流行のきっかけとなったのは、1903(明治36)年に起きた16歳の青年・藤村操の投身自殺である。旧制一高の男子学生という、明治社会で最も恵まれた層である青年が哲学的な遺書を残して自殺したこの事件は、メディアでセンセーショナルに取り扱われた。彼の遺書「巌頭之感」は『煩悶記』として出版され、たちまちベストセラーになる。藤村操の死からわずか5年の間に、自殺現場である華厳の滝では40人の自殺者と67人の自殺未遂者が出たというから、ある意味カリスマ的存在だ。

若者たちが続々と後追い自殺をしたことで、「青年」の「煩悶」は社会問題になった。煩悶の原因として、文学もとばっちりを食らうことになる。当時の風潮を、文芸評論家の長谷川天渓はこう記している。

四五年此の方、学生風紀問題の絶えたることなし。殊に近頃に至りては、呼び声囂々として聾せむばかり也。不良学生、堕落女学生等を取締るべし、卑猥なる書籍を読ましむること勿れ、小説購読を禁ぜよ、曰はく何々と
「狗尾続貂」(『太陽』12巻11号明治39年8月)

若者が煩悶するのは文学のせい?

女子教育者の嘉悦孝子が津川梅村と共著で出版した主婦向け修養書『主婦の修養』(明治40年刊行)では、「煩悶」する女学生の「最も猛烈なる誘惑」として小説を挙げた。

其誘惑物とは何か、小説です神聖なる文藝界より駆逐すべき、下劣なる小説であります。(……) 不健全なる妄想、煩悶より小説に行きつつある彼等の前途は、やがて女子教育の効果を無に帰せしめるのではありますまいか。如何に學校にて良妻賢母の教へをうけたりとて、家にかへりて、直ちに此悪趣味に感化されつつあるに至つては、その教が何の役にたちませう。

国民道徳論の主導者であった井上哲次郎は「学生の風紀問題に就て」(『太陽』明治39年10月)で、「日清戦争後淫靡なる文学が益々行はれて、さうして其文学の中には、ニーチェとかゴルキーとか云ふやうな、作家が持て囃され」ることで、淫靡な風潮が文学によって高まっていると難じている。

帝国大学(現・東京大学)の第二代総長を務めた加藤弘之は、「近来種々文学的、哲学的とでも云ふべきやうなる雑誌や書籍の盛んに刊行せらるゝは、其一因なるべし」と、若者の煩悶は抽象的な文学書・哲学書を読んで人間を高く買いかぶりすぎたせいだとし、人類は「下等生物の子孫」なのだから人生がわからぬといって心配することはないとざっくり慰めた(『現代青年論』伊藤銀月、明治40年刊)。

それまでも小説が有害視されることがあったが、煩悶ブーム以前にやり玉に挙げられていたのは「或は不徳、或は不倫、或は愚痴、或は残忍、又或は猥褻の表現」を用いて「鍛錬なき脳髄を有する生徒」を感化し、「殺伐、淫猥、不正、邪知等あらゆる悪事」を増加させる「文学としては価値乏」しい小説だった(『教育時代観』久津見蕨村著、明治32年刊)。善悪の判断ができない愚かな年少者が低俗な小説の内容に影響されてしまう、という観点からの批判である。

しかし煩悶ブームのさなかでは、高踏的な文学書・哲学書も有害視された。『石狩少女』のヒロインは、その文学趣味が余人に理解しがたい高踏的なものであったために不良呼ばわりされ、母と姉から敬遠されていたのである。

一人で黙読する若者への不安

前田愛は「音読から黙読へ」(1962)(『近代読者の成立』所収)の中で、こうした忌避感情が生まれた原因を、明治中期以降に広まった一人で黙読する読書習慣にあると分析している。「小説自体の影響力とはべつに、小説とともにひとりの世界に閉じこもることが、ハーンの言うような家庭全体の連帯感を疎外する行為を意味したためではあるまいか」。

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堀越英美

核家族化で家庭教育はダメになった? 読み聞かせで心を育てるって……本当に? 日本で盲信されてしまっている教育における「道徳」神話の数々。そのすべてを、あの現代女児カルチャー論の名著『女の子は本当にピンクが好きなのか』でセンセーションを...もっと読む

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tokuyoshikeiji 当時の少女雑誌の投稿欄は、女性名で少女を騙して文通やあいびきを図ろうとする男子学生の絶好の狩猟場←明治時代には、既にネカマが爆誕=З 6ヶ月前 replyretweetfavorite

3dRikka 『石狩少女』のヒロインが、愛され規範を捨てる決意をしたら逆に愛されてしまう下りで、モテを捨てたら自分に合う伴侶に出会えたというアルテイシアさんの体験談を思い出す。 6ヶ月前 replyretweetfavorite

fmfm_nknk 更新されてます。今回は文学少女が爆モテする森田たま『石狩少女』をフィーチャーして難しい本を読む少女が不良呼ばわりされた理由などを探ります。> 7ヶ月前 replyretweetfavorite