人生を変えた仕事の依頼
2002年早々、嶋浩一郎さん(現博報堂ケトル共同CEO)から実にエキサイティングなオファーが来た。そのころすでに朝日新聞社から出していた新聞「セブン」は、2001年秋の段階で休刊と言う名の廃刊をしていた。当時の私は食い扶持が一つ失われ、相変わらずの低収入フリーライターだったわけだが、幸いテレビブロスの特集をやらせてもらい、12月にはちょっとした臨時収入もあった。
だが、その後は特にK編集長から話もなく、ヒマだなぁ、どうすっかなぁ、なんて思っていた時、嶋さんから電話が来た。
「博報堂が発行する雑誌『広告』の編集長になった。ちょっと打ち合わせしたいので、下北沢まで来てくれない?」
こりゃ行くしかない。さっそく下北沢へ行き、「レディー・ジェーン」というウイスキーの名店に行ったところ、嶋さんはこう言った。
「今まで『広告』は、会社のPR誌的な意味合いが強かったので、会社としても、それほど必死に売ろうとはしていなかった。でも、オレは普通に売れるカルチャー誌を作りたい。協力してもらえないか?」
以前、「この4ヶ月後に私のライター人生を変える出来事があった」と書いたが、まさに、この仕事がそれだったのである。『広告』という雑誌はコミュニケーションにまつわる特集を多数載せる雑誌で、嶋さんが編集長になった第一号の第一特集は「こども力」である。
子供の視点に立ち、子供のような発想をすれば、様々な面白い考えができ、面白い表現でコミュニケーションできるのでは? というのがその特集だ。
嶋 で、中川に第二特集の編集とライターをやってもらいたいんだ。
私 はい。
嶋 いいか?
私 はい。
嶋 アフガニスタンに行ってもらえないか?
これには正直仰天した。なんせ、2002年1月のこの時期、アフガニスタンでは戦争が終わった直後で、イタリア人ジャーナリストが殺害されたばかりだったり、まだ多国籍軍がタリバンの残党とドンパチやらかしている時期だったからだ。
一瞬躊躇したものの、嶋さんが本気で言っていることは分かった。自身が編集長になって最初の号は、前編集長を超える企画を用意し、部数も増加させなくてはならない。そのための鉄砲玉として私は使われるわけだが、雇い主に対して拒否することなどできない。なにせ、嶋さんが私の生殺与奪を握っているのだから。
アフガンでなにを取材するのか?
アフガニスタンで一体何を取材すればいいのか? 現在のアフガンの民が置かれた悲惨な状況であれば、新聞等が取材をしている。そういったことは恐らく嶋さんは考えていないだろう。嶋さんは言った。
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